揉め事も悪い事ばかりじゃない


「「声高に叫ばれている」と感じる心理-日々是自己主張」を読んで。


筆者は声高に叫ばれていると思う事に自分とは違う意見が書かれている時の印象を挙げている。だが、私はそれだけでなく、自分と意見が全く同じである場合でも「声高に叫んでいるな」と思う事があるのだ。
ただ、筆者がこの記事では書いていないだけで、筆者も私と同じように思う事もあるのかもしれないが。
この記事では筆者は揉め事に視点を置いて書かれているので、悪い意味での「声高に叫んでいる」と言うことなのだろう。
だから、筆者が言っている「揉め事記事に対して次から次へと新たな記事を立てて自分の主張を繰り返す」という意見には私も確かにそうだなという気持ちを持っている。


私も以前は自分では気付かぬ内に揉め事を引き起こしていたようだった。つまり否定された自分の主張を次から次へと書いては「如何して私の言いたい事が分らないんだ!」と声高に叫んでいたからだ。だが、どんなに言い立てたとしても受け入れてくれない人は何時まで経っても受け入れないままであり、寧ろ、受け入れてくれていた人達が離れていく有様だった。だが、勿論、その中でもずっと受け入れ続けてくれた人も少ないながらもいないわけではなかった。声高に叫んだ事は余り褒められた事ではなかったが、私は今でも自分の書いた事がそれ程間違っていたとは思っていない。だから、そんな風にして最後まで私の傍に残ってくれた人が私にも居たという事で、当時の揉め事も悪い事ではなかったなと思っている。


「押し付けも 相手によって 受け入れる」 xura心の川柳


つくづく自分には川柳のセンスも無いんだなと思ったよ。(笑)