どの様な形でも声が出てくるのは良い事だ


「いま作ってます。 - はてなブックマークのコメント欄が掲示板化してる件」を読んで。


はてなブックマークの使い方はどの様な使い方をしても良いというのが私の考えだ。自分の記事をブックマークしてもいい。コメント代わりにしてもいい。私信用にしてもいい。それを誰に非難されようが、自分がいいと思った使い方をすればいい。と思っているよ。


私のようにブログのコメント欄を閉じている人間にとっては、ブックマークに付けられるコメントを読むのが楽しみだったりする。コメントが楽しみであればコメント欄を開放すればいいと人は言うだろうが、コメントへの敷居を下げたくないのが私の本音だ。それは、敷居の高さを乗り越えてでも私と交流をしたいという相手しか私は求めていないからだ。わざわざブックマークでコメントを残すという事は、如何しても私に何か伝えたいという思いが其処には感じられる。それはネガティヴコメントであったとしても言えることだ。如何しても「それは違う」「それは酷い」という声を私に届けたいと思って書かれるコメントは、時に私の心に響く事もある。それはトラックバックでもそうだ。トラックバックはブックマークコメントよりももっと手間をかけさせているわけだからな。私はその様にしてはてなブックマークを利用しているのだ。それも他人のブックマークを利用させて頂いているという事なのだがな。


 ブクマコメントしか残せない人をチキンと呼ぶのなら、それまで小さすぎて見えなかったチキンの声を表出させたはてブはむしろ評価されるべきでは?
 コメント欄の無いサイトにもコメントのようにあれこれ文句とか意見を書けるってのは、古いwebとweb2.0の掛け橋になり得る可能性なんじゃないの?いぬビームの全サイトはてブスクリプトはwebの革命と言ってもいいと思うんだけど。
 blogで言及する、コメントで言及する、よりもさらに敷居の低い第三の選択肢が表れただけなんじゃないの?


ブクマコメントしか残せない人がチキンと呼ばれているようだが、それを言うなら、書いている文体で偉そうな奴と言われている私でも、相手のコメント欄にコメントが残せず、自記事で、しかもトラックバックも無しでしか相手に伝える為のコメントが残せないのもチキンと呼ばれても仕方ない。だが、私はそう言われても自分のこのスタイルを変えるつもりはない。好きなだけ非難すればいい。誰一人、私を傷付ける事等出来はしないのだからな。