あなたに私の感情のありようが見えるか?


「華心旋律 - 舞台上で」を読んで。


Tear_of_angel氏は、私の書いた「私は舞台で役を演じる者だ」への記事にコメントを付けて下さった。


役に同化するには、自分の感情を役の感情に重ねなくては出来ないのでは?


そして、更に詳しく記事を書いて下さったようだ。


その役を演じるのには確かにその役に己の感情を重ねる事が大切だ。それは分かる。だが、その演じている役は己の本性ではないよな。それが私が己を晒さずに演じると言っている事であるとご理解頂きたい。本当の私がもしかしたらあなたが見ている「私」ではない事も有りうるのだという事を。


ブログが舞台であるなら
自分の感情を晒していない積りでも
実は他の人には見えているのかもしれない
あなたの感情のありようが


その様に氏は言われるが、それはあなたがそうであるというだけに過ぎぬ。他人に見えているかもしれないその感情が、果たして本当にその人の感情であるか如何かなど分かる筈がない。それを見越してわざとその様に見せているだけかもしれないよ。
以前、私の書く文章には心を打たれないと言っていた方がいたが、その人は私の書く文章に感情を見出す事が出来なかったのかもしれない。感情のこもらない文章には、多くは心は動かされないものだと思うからな。


氏には見えるか? 私の感情のありようが。


【追記】Tear_of_angel氏よりトラックバックを頂く。


時々、あなたの表情さえも見えるような気がすることもある。
が、それは錯覚だと言われればそうかもしれない。
私は、自分が感じた事を上手く言葉であなたに伝えられる自信もないし、
もし伝えられたとして、それが当たっているかどうかをあなたが教えてくれるとも思えないし。


錯覚であるか、真実か如何かも、確かに私は教えるつもりはない。私は、私の書いた物で他人がどの様に感じたかを知りたいだけだ。それがたとえ私を非難するような物だとしても私は構わない。
だから、上手く伝えようと思わないでいい。素直に感じた事をそのまま綴ってみてくれれば、私は満足だ。好意的な目で見れず「傲慢な人間だ」と言われても私はそれでも構わない。実際、私は己を傲慢で失礼千万な人間だと分かっているからな。それを他人に言われたとしても「その通りだよ」と言うだけだ。
かつて、何人も私を傷付けた者達がいたが、今の私を傷付ける者は、今や何処にもいない。いや、違うな。たった一人だけ、私を傷付ける事が出来る者がいる。その人以外は私を傷付ける者はただの一人もいないよ。


ところで、氏は「華心旋律 - いや、もう、ドキドキで(笑)」という追加記事を書いて下さったが、その様な反応をされるとは私も想像していなかったな。氏が他人に慕われる訳が分かったような気がする。だが、それは一番大切な人にだけ書く記事だよ。気をつけたまえ。何をと言われても困るが、氏には私の言わんとする所が恐らく分かるとは思うがな。(笑)


【更に追記】Tear_of_angel氏より追記を頂いたので更に追記をしてみる。


私は、自分の感じた「そのまま」を言葉にして伝える自信がないんですよ。というか、受け取り手がいる以上、「そのまま」伝わるとも思ってないし。


私の思う「そのまま」とは、伝わる自信がない気持ちも含めているのだよ。「伝わる自信がない」と思う場合は、なかなか相手に伝えようとはしないものだ。誤解をされるかもしれぬしな。だが、それでもこうやって私の書いた物に対してわざわざ記事を書いて下さった。その事に多大なる感謝をしている。有難う。


そんなつもりで言ったわけでもないし、この程度でぐちゃぐちゃ言うような人間は私、蹴り入れますから(笑)だからという訳でもないですが、大丈夫です(断言)


蹴るのだけは勘弁して欲しいものだな。私ならごちゃごちゃ言う相手はこの手で抱き締めてしまうが。(笑)
思いのほか、楽しい夜となった。明日も頑張れそうだ。有難う。