完全に救われるにはまだ時間がかかる


「synchronicity ピエロとピエラーの共依存」を読んで。


PIERROTというバンドが解散した事は誰かがブログで書いていた事で知った。
私は彼らの事はあまり知らないが、かつて仲良くしていた人が彼等のライヴによく行っていた事もありCDを一枚だけ購入した覚えがある。

音楽は慰めや励ましや、一時の救いをあたえてはくれるけど、人の心を本当に救いはしない。直接、他者とコミュニケートすることでしか(それは実際に逢って話すのでもいいし、ネットで言葉のやり取りをするのでもいい)、「他者の心の中に自分は存在する」ということは実感できない。個人同士で向き合わなければ、コミュニティからの疎外感──というか「自分は誰からも必要とされていない」「自分は誰からも認められていない」「自分なんていない方がいい」と思い苦しむ人の心を救うなんて無理だ。
筆者のこの言葉は私の心に鋭く突き刺さった。
今の私は個人と相対していない。
ただ言い訳をするとすれば、かつての私はそうではなかった。
他人と積極的にコミュニケートし、それで救われていたのだ。
だが、あることがきっかけで私は私の正直な思いを話さなくなっていった。話さなくなったせいで、他人と接触することもしなくなっていった。
そんな一番精神的に辛い思いをしていた私を救ってくれたのは「音楽」に「励ましの言葉」だった。
だが、筆者の言う通りで、確かにそれらは完全に私の心を救う事はなかったように思える。
だから、今の私はまだ完全に救われていないのだと思う。


救われたいと思う。
だが、まだ臆病な私が居る。
まだ私が救われるには時間がかかるようだ。