矢張り好きな相手には評価されたいものだ


「404 Blog Not Foundはてなに入りたくても入れないみなさんへ#3」を読んで。


まだ続いていたんだな。(笑)

評価するというのは、実は言論そのものなのです。評価が欲しかったら、評価するしかないのです。
こう言い切る筆者の言うことには、人は「評価されたいあなた」ではなく「評価するあなた」を見ているのだと言っている。評価すると言うことは行動していることであり、他人には確かに分りやすい。評価されたいという思いは、人によっては感じてくれるだろうが、ほとんどの者が感じ取ってはくれないだろう。


つまり、好きな相手に振り向いてもらうには「思っているだけ」では駄目であり、振り向いてもらう為には、こちら側が行動を起こさなければならならないと言うことか。それがたとえ思いに応えてくれるというものでなかったとしても、万に一つの可能性がある限りは行動してみること。それが大事なのだろうな。

別にポジティブなものでなくてもいいのです。こんなところが気に食わない。こんなところがいやだ、というものも立派な評価です。それを批判ではなく誹謗と受け取る人は、そもそも自分を評価するに値しないぐらい思ってもいいのです。
筆者はこう言っている。だがしかし、反論を覚悟してでなければ「口をつぐむかほめるかに徹底した方がいい」とも。
それでも、そこに何らかのコミュニケーションは生まれる。たとえ最初は対立したとしても、もしかしたら受け入れてくれる事もあるかもしれない。そんな風に思えてきたよ。