書くことはまだ在る

「書くことがなくなった - phaの日記」を読んで。

 

確かに、私も昔に比べて此の場所の更新頻度は下がっている。昔は毎日更新を掲げて更新していたのだが、今は更新する時間を作るのはなかなかに難しいのだ。だが、書き残したいという気持ちはまだあるし、昔のように誰かの書いた物に触発されて、自分の思いや考えを書きたいと思ってはいるのだよ。

 

「もし書くことがなくなったら、俺らは一体なんなんだ - シロクマの屑籠」を読んで。

 

私は有料で何かを書くという経験はない。なので、こうやって無料で誰でもが読める場所で何かを書いている。それは此処だけでなく、別の場所で書いているものもそうだ。もっとも、誰も読んでいないような場所でも書いてはいるが、公では書けないような内容のものを書いているだけであり、恐らくほとんどの人が読みたくないといったような内容のものだろう。だが、それでも毎日のように書いてはいる。だから、私は此処の更新頻度が下がったといってもまだまだ私には「書くことは在る」と言えるのだな。

 

「僕たちが書くことの意義とは - novtanの日常」を読んで。

 

「インプットが減るからアウトプットが減る」ということは確かにそうだなと私も思うよ。私ももう若くない。鬼籍に入るのももうすぐだ。そういった私にはもう時間がないのだという焦りから、なかなかインプットに時間が取れなくなってきていて、それでアウトプットができないというのも更新頻度が下がってしまったことにも繋がってしまったと思っている。昔はブログ論をよく書いていたekken氏のおかげで、あの頃はよく様々な方のブログを取り上げて書いていたものだが。最近ではあの頃の、思わず書いてしまうような記事を書く人がなかなか見つからず、今夜はお三方の記事で昔を懐かしく思って「思わず」書いてしまったよ。

 

 

それにしても、そのekken氏が亡くなったと聞いたのだが、本当だろうか。namgen氏が亡くなったというのは聞いたのだが、ekken氏もそうなのだろうか。確かに最近では全く氏の動向がわからなくなっていたのだが。ekken氏は私にとって「欲しい言葉を下さった人」の一人でもあるので、もし亡くなったのが事実であるのなら、

 

 

私より先に死ぬんじゃねぇよ!!

 

 

と、胸倉を掴んで怒鳴りたい気分だ。

 

それでも、何時かは私にもそして全ての人々にも死という翼が覆いかぶさる日はくる。だから、その時まで私は此処で書き続けよう。「イキロ」と言ってくれた人の為にも、そして、まだこんな私の書く物でも待ってくれているという人の為にも、私は何としても書き続けるよ。

 

【追記】「書くことがあったりなかったり - 愚者のニュース」を読んで。

 

久々の後戯だ。(笑)

 

トラックバックは昔から此処では活用したことはなかったので、それを残念に思うというのも私にとっては違うような気もしている。だが、そのトラックバックのおかげで、興味あるブログを開拓していった過去もあったのだ。トラックバックに恩恵を受けていたというのもまた事実。今はリンクをするだけで相手に自分のことを知らせることもできるのだが、それは個人対個人の繋がりだけであり、第三者に自分を知ってもらうことはなかなかに難しい。例えばこのように私が追記としてリンクをしなければ、私のブログだけを見ている人にとってはdenimu氏の書いた記事の存在は知られないだろうからな。

今夜の私は少し浮かれているかもしれない。昔やったような記事の交換をし合うこの言葉の触れ合いが懐かしさを感じさせるよ。記事を書いて下さって本当に有難う。