その時がきたら誰か私の為に泣いてくれ

とある人とTwitterで会話をした。その方は「めでたい日が悲しい日になる、この振り幅の大きさがダメージになっている」そして「散歩しながら涙ぐんでたら、怪しい人でしかない」と言われていて、私はその方の気持ちがとてもよくわかったので、思わず、自分もここまで引きずるとは思っていなかったと声をかけてしまった。過去に同じように苦しんでいる方に励まそうとして声をかけて激しい拒絶をされたことがあったというのに、私はどうしても同じ過ちを犯してしまうのだなと、声をかけてしまってから後悔したのだが、その方は拒絶はしなかった、と、そう思う。恐らく。その人の本当の気持ちはわからない。逆の気持ちを抱き続けて、ある時、突然に別れを突きつけてくる人もいたからな。だから、どうしても今の私は他人を信じきれないところがある。もっとも、私がこんな私であるからそうなってしまっても仕方ないのかもしれぬ。他の人であったなら、こんな不安を感じずに他人とのコミュニケーションを当たり前にしているのだろうが。

 

話を戻すが、亡くなった大切な人に対して気持ちを引きずってしまうことは良くないことなのだろうか。確かに、気持ちが引きずられていることはとても辛く、こんな思いはしたくないと心で悲鳴を上げているわけなのだが、これは自分自身があまりにも生き辛くなってしまうほどになってしまうから、矢張り、引きずられないほうがいいのかもしれないとなるからに他ならない。その人は出来る限り思い出さないようにしようとしているということだったが、ある霊能力者は、その思い出すということが供養になると言っていたことがある。なので、思い出して悲しんで涙を流し、亡くなった人に語りかけることは供養になるのではないか、と。そう私は思っているよ。

 

私も、ふとした時に思い出してはその人に語りかけている。そして涙ぐむ。これは私の命が潰えるまで続くような気がしている。どうせ、必ずその人のいるその場所に逝かなければならないのだ。私に限らず、全ての人が。そうして、私自身もまた誰かに引きずってもらえる存在になるのだろう、恐らく。そうであればいい。誰も引きずってくれない、そんな存在にだけにはなりたくないものだ。