私は書いている人物に興味があるよ


「suVeneのあれ 文章から人格を読む人・読まない人」を読んで。


 これは、不平不満ではない。「誰が話しているか」を考慮することがほとんど出来ない俺の選択による結果であり、明らかな不利益を考慮できない自分自身の愚鈍さを表す話である。強盗や暴力的犯罪者に対面して「暴力はいけない」といって、身の危険を冒すような愚鈍さの話である。(上の人が強盗という意味でなく、不利益を考慮できていないという話)


確かに「誰が言っているか」ではなく「何が語られているか」で物事を考えようとする事は、その様な不利益は出てくるのだろうが、その様な筆者の姿勢は私は好感を持ったな。そこには記事を平等な目で見るという利点があるからだ。私も良くない態度だと反省する事があるのだが、人によってはつい贔屓をして見てしまう事があるからだ。矢張り、自分に対して好意的な目で見て下さる方には書かれている内容が少々問題ありと思っていたとしても、つい「何か意図があるのだろう」と贔屓目で見てしまうからな。なるべくその様な目で見ないようにしてはいるのだが、私は書いている人物に興味を持つ方なので、時たま、そういった目で記事を読んでいる事に気が付く事もある。


 今度試しに具体的な興味の話でも陳列してみるかな。


ぜひ、聞いてみたいものだ。尤もその話が私の興味のある話か如何かは分からぬが。


【追記】suVene氏よりコメントを頂く。


不利益は「贔屓目で見てしまう」ことを利用する為の利益を(意識して)獲得する事ができないということです。言ったら気を悪くすると理解している場合でも発言するような。ありのままで贔屓がないという話ではないです


成る程。人間であれば矢張り多少の贔屓目というものは持ってしまうという事なのかな。だが、分かっていても自分が「こう思う」という事を正直に発言する事は、他の者が如何思おうが、私は誠実だと思っているよ。だが、確かにその様な、他人が気を悪くしてしまう発言をしてしまう者は、相手が悪かった場合に身の危険にまで及ぶ場合がある。その様に思った事を正直に話せる世の中であれば、安心して発言も出来るだろうが、なかなかそうもいかないだろう。現状では、矢張り、時と場合を考えて発言する事も必要だ。しかし、私の考えとしては、私の気を悪くしてでも、正直な気持ちは発言して貰いたいと思っているよ。私は相手の正直な気持ちが知りたいのだから。その様な考え方の持ち主が一人でも増えてくれれば、氏のような人も発言し易くなるのだろうな。