私は幸せになってはいけないのだ

「少しの成長 - Qana’s diary」を読んで。

 

qana氏のこの記事を読んで、自分の過去の人間関係が思い出された。何人かの人に避けられているなと感じたこと、幼馴染がまったく声をかけてくれなくなったこと、酷い中傷メールを送られてきたこと、いきなり友人関係を解消されたこと、等、およそ良くない黒歴史のような自分の過去の出来事を、だ。私は自分では白黒はっきりさせたいという気質だと思っていたのだが、どうもこういった黒歴史を思い出すにつけ、私はとんだ虚勢野郎だったのだな。他人とのトラブルが起きる度に、その都度、当時付き合いのあった人に諭されたものだったよ。ちゃんと相手に聞くべきだとか、想像だけで相手の心を読まないとか、そんなようなことを。だが、私はいつまで経っても大人になれぬ我儘な子供なのだ。私は結局変わらぬ。多少大人になったと思ったものだったが、私はどうあっても変わらぬようだよ。相手の反応が怖くてどうしても真相を聞けぬ。そう、とんでもなく面倒な人間が、私だ。私と関係のあった人々のほとんどが私のせいで不幸になった。幸せになった人などほとんどいない。それだけ私という人間は最低最悪の存在だったんだな。確かに自分次第で道は開けるのだろう。頭ではわかっているのだが、どうしても私は行動に移せない。どうしても私は誰かの存在で幸せになることを望んでいるのだ。自分を救うのは自分と言いつつ、その真逆な行動をしているのだ。独りになって気づいたことなのだが、恐らく、ではあるのだが、私は幸せになりたいとは思っていないのかもしれぬ。そんな気がしてきたよ。