春の訪れはまだ遠い


私はこの世に生まれてから物語というものを書いたことはない。だから、物語を書く人々の物語以外の下らないものに関わっていたくないという気持ちは理解できると言ってはいても、本当は理解はしていなかったのかもしれない。

物語と正面から向き合いたいという気持ちと人間と正面から向き合いたいという気持ちのどこが違うのだろうか。私にとって人間とは物語そのものなのだから。物語に向き合いたいと人間と向き合いたいは同じものとしてしか私の目には映らないからだ。人と深く付き合う、人の下らない話に耳を傾け、何故彼らはそんなつまらないことを話しているのかを考える。そこに物語が生まれるとは誰も思わないのだろうか。

私は下らない人間だよ。君の関心を得ることは出来ない人間だ。だが、私もまた道化師なのだ。たった一人に向けて道化を演じる道化師。だからなのか、誰も私の道化に関心を持ってはくれぬ。それでも私はこれからも道化を続けていくだろう。私の耳に春の訪れを告げる音色が聞こえてくる。誰にも聞こえぬが、私の耳だけに囁くように聞こえるその音色は、静かな杜に差し込む月の祈りにも似て、私はこれでいいのだと、そう思ったよ。