私を傷付ける者は何処にもいない


自分のブログの一番の読者は自分ではないと言っている者がいるかと思えば、自分のブログの一番の読者は自分であると言っている者もいる。そうだな。私も後者に属する。だが、私は過去に自分の書いた記事を読み返すと同時に、それに反応してくれた誰かのコメントやトラックバックを読み返すのも好きなのだよ。それがたとえ罵倒でしかない一言であっても。幸いにも、私の書いた記事に寄せられた声には罵倒というものは無かった。たとえ相手が「これは罵倒だよ」と思っていたとしても、私にとっての罵倒は他人の思う罵倒とは多少違っているようだからな。勿論、私が感じる罵倒を教えるつもりは無い。それを投げつけられたら、如何な私であっても立ち直れぬほどの打撃を受けるだろうからな。その様な危険は冒せない。


それにしても懐かしいな。売り言葉に買い言葉で傷付け合った過去が私にもあるからな。今でこそこの様に泰然としているように見える私であるが、私も血気盛んな頃もあった。相手を徹底的に傷付けた過去もある。そんな私も誰かに殴り付けられた事もあった。今はもうそんな元気もないがな。だが、私は己の内面が変わったとは全く思っていない。「あなたは変わった」と言う者もいたが、私は変わっていないよ。ただ、見せ方は変わったかもしれない。そう思って自分の過去に書いた物を見るのも確かに楽しい事だ。痛い思い出も悲しい言葉も楽しい一時も喜びに満ちたその人との会話も全てが私にとって大切な宝物なのだからな。


君の言う通りなのかもしれない。誰も私に読まれたいと思っている者はいないのかもしれない。読んで貰いたいと言っているその言葉も本当は嘘なのかもしれない。そうであれば、矢張り私は黙って読み続けるしかないのだろうな。私に読まれたくないと思っている人々の書いた物を読み続けたければ、そうするしかないのだろう。だがな、覚えておくがいい。私は決して君を傷付けられるとは思っていないよ。君は私に傷付けられる事は決してない。そして、私も誰かに傷付けられる事は無いのだ。それだけは忘れないでくれ。