別れの言葉は要らない


「青空崩壊 2006-12-19」を読んで。


今ではそういった感謝の言葉だの寂しい気持ちだのを届けてくる者はいないが、私もかつてはその誘惑から逃れられない人間だった。「最後だ」と言う事で集まる人々の惜しむ声を。


さよならの瞬間の言葉には美しさがある。僕が思うのはなぜそれが普段からできないのだろうかという疑問。でもそれはそうだ人は病気になることで生きることの幸せを感じられるようにさよならがこなければうまく言葉がでてこないからだ。


人々の心を打つ美しい言葉が並べられた良記事は毎回出てくるわけではない。たとえ毎回その様な記事が書けたとしても、万人の心を打つ事は不可能だ。閉鎖する時の記事さえも全ての読者の心を打つ事は無い。それに気付いた私は、もう「最後だから」と言う事は止めにした。もし私がブログを止めるとしたら、その理由も止める事も告げずにある日突然此処は更新が止まる事だろう。そうなった時、「このブログの主はブログを止めにしたのだな」と察して欲しい。削除もしないと思うよ。私ではなく、サーヴィス側が削除しない限りは此処はそのままにして置く。


最後の別れの言葉など、私には必要ないから。


すべての瞬間をさよならだと思うなんて難しい。


私は全ての瞬間をさよならとは思えない側の人間だ。だが、私の知り合いには、全ての瞬間を最後だと思って生き続けている人が居る。私にはその様な刹那的な生き方は出来ない。私は全ての瞬間を出逢いと思って生きていきたい。