たった一人の理解者を求めて


「忘却防止。 - 向こうにいる人は、どんな人?〜記事から人に興味が移るとき」を読んで。


hatayasan氏は気が付いたら何時も私の記事をブックマークして下さっていた。正直、私の何処が気に入って下さったのか分からなかったが、矢張り繰り返し注目をして下さる方は此方も興味を持つようになるものだよな。
私もそろそろ新しい方をアンテナに入れようかとも思ってはいるが、納骨堂リストという名称に名を連ねる事になっても不愉快に思わない方を選ばなくてはならない。(笑)


 こうやって固定したハンドルネームで雑文を書きながら、自分を理解してくれる人にどこかで会いたいと願っているのかなあと思いました


誰か、理解されては駄目なのだというような事を言っていたような気がするが、矢張り理解はされたいと私も思うよ。ただ、それが大勢でなくてもいい。たった一人が理解してくれれば、他全てが理解してくれなくても強く生きれるかなと思ったよ。


【追記】はてなブックマークのululun氏のコメントを取り上げさせて頂く。


理解者がたった一人なのだとしたら、それは自分自身だと思う。他人に「私」は理解されない。完全な形では。自分自身すら「私」を理解しているとは言い難いのも事実であるが


ululun氏の言う通りだ。正に私はそれを言いたかった。だが、この事によって、私は矢張り人とは他人に理解されるものだと思ったよ。氏は私を理解したと言えるからだ。私が最も言いたかった事を当てて見せたのだからな。とは言え、それは私が余りにも分かり易い人間だからなのかもしれないがな。