装飾の無い孤高


「who I am|とりもなおさず」を読んで。


 つまり、もっぱらは、自分の愚かしさを背負わされている、悲しい人格なのである
 しかし、その「愚かしさ」とは、自らを装飾することを忘れている、という意味であり、その点においては、もっぱらは、あまりにも美しい


愚かしさは誰しもが背負っているものである。ただ悲しいと思うか無神経で居られるかのどちらかであるか、だ。それが私にとっては重要かな。私は時に無神経になり、時に嘆く。嘆く様は誰にも見せないが、無神経さはさり気無く見せ付けていると思っている。それを察知する人はなかなかいないと思うが、全くいないという訳でもない。


装飾しない氏は確かに孤高で美しい。それが惹かれた理由。氏の書くものはわたしを惹きつけて止まない。