「恋人が欲しい」ではなく「あなたが欲しい」なのだ


「ヘボメガネ一進一退 - 心の平穏という麻痺」を読んで。


いくら心の平穏を装っていても街中を歩いてそこでカップルを見かければ、心は掻き乱される。いくら一人の時間が心地よくて楽しくても、それが長く続けば急に怖くなる。そんなもんなんだ。


私は常々疑問に思っている事がある。「恋人が欲しい」と言う者は誰か特定の個人を好きになった事があるのだろうかと。誰か好きになった事が無い訳ではないだろう。「○○さんが好きなのだ」と特定の相手を好きになる事は生まれてきてから少なくとも一度はある筈だ。もし誰かを好きになった事があるのなら、その相手に振り向いて貰う行動をその者はした事はあるのだろうか。たとえ振り向いて貰えなくても、己が誰かを一心に愛する事で心は豊かになる。ただしその豊かさには様々な面がある。誰かを好きになる事で嬉しい気持ち楽しい気持ちだけでなく、思いが通じぬ事で辛い気持ち悲しい気持ちになる事があるが、それら全てをひっくるめたものが心の豊かさに繋がるのではないか。
私は恋人が欲しいと願う者に言いたい。恋人を欲しがるより「あなたが欲しい」と思って欲しい。そして、その「あなた」が振り向いてくれなくても次は別の「あなた」を好きになって欲しい。そうやって次々と新しい「あなた」を求めていけば何時か誰かは振り向いてくれるのではないかと、そう私は思っているよ。恋人が出来る者とは、誰かに惚れやすい人ではないかと私は思っている。ただ漠然とした「恋人」が欲しいではなく、常に特定の誰かを追い駆け続ける者は恋人を手に入れやすいのではないかと思うのだ。この人でなければ駄目なんだというその強い気持ちが「恋人が欲しい」と持っている者から感じ取れないのだよ。悩むよりまずは誰かを好きになる事なのでないか。


私は生まれてから一度たりとも好きな人がいないという経験をした事がない。だから「恋人が欲しい」と思った事は一度もない。私は常に特定の「あなたが欲しい」と思い続ける者だからだ。手に入ったか如何かはノーコメントなのだがな。尤も知りたいと思う者もいないと思うので、わざわざ言うまでも無いと思っているが。


それにしても言及先に言及しているとは言えない記事を書いてしまった。しかも恋愛に関する話題はもう書かないつもりだったのだが、つい書いてしまったな。私は恋愛話は似合わないようだ。今夜はどうやら他に書くネタが無かったということか。(笑)


【追記】hebomegane氏の「ヘボメガネ一進一退 - 人を好きになりやすい故に、人を好きになりにくい」を読んだ。


私は氏がどの様な人物か分からなかったので、誰か特定な相手を好きになればいいと言ったわけだ。だが、氏が惚れっぽいというのならそれでいいと思うよ。後は、その好きという気持ちにもっと自信を持つ事だな。それから誰かを好きでいるのだという気持ちは人によってはその人に強さをもたらす。相手が振り向いてくれなくても思い込みで突き進むのも良い物だ。私はそう思っている。だがしかし、これは自己中心的な思いでもあるのでストーカーと言われても仕方ないかもしれないがな。(笑)


【更に追記】「Latest topics 「本当に好きかどうか」を問うて自縄自縛に陥ることの無意味さを検証してみる - outsider reflex」を読んで。


興味を抱いて読んでみた。「この好きは本当に好きなのか如何か」それについて長々と検証していたが、最後の文章に共感した。


 ただ、それでも、「本当ではない好き」から始めて徐々に「本当に好き」に「なっていく」ことができる可能性は否定できない。その可能性に賭けて、自分が浅薄な人間であることを潔く認めた上で、そこから関係を築きあげていく努力をする事を考えるべきであろう。無駄な期待をして自分で自分を足止めするくらいなら、諦めて期待なんかしないようにして、身軽になって前に進む方が、「幸せな状況」という目標に近付いていけるのではないだろうか。


私はこの様なポジティヴな考えが好きだ。