全ての言葉には美しさが秘められている


「ヘボメガネ一進一退 - 何気ない言葉に悪意を忍ばせる」を読んで。


意識して人の発言を注視していると、意外にそういった言葉の使われ方が多い気がする。話を進める上で、僕はずっと「キモイ」という単語を例に挙げてきたのだけど、これはちょっと限定しすぎで、アンビバレントな意味の言葉であれば、「キモイ」以外の言葉にも、当然あてはまる。最近で言えば「興味深い」という言葉にも近いものがあるかも知れない。


こういう理解の仕方というのは、もしかすれば僕自身の感じすぎとも言えるのかも分からない。しかしだ、ちょっとこう気分良く談笑をしている時、自分へ向けられた言葉の中に背筋がゾクっとする感覚が走るのを知覚したならば、僕はそのまま無邪気に笑い続けることなんて、どうしても出来ないと思う。


悪意を感じるか。難儀な性格だなあと思う。確かに、私なども分かってくれそうな誰かに届けばいいという気持ちから、特定の言葉に意味を持たせて発言する事もある。だが、悪意からそういう言葉を使った事は無い。勿論、悪意からそういった言葉を発する者もいるだろうが、それは此方が感じなければ全く意味の無いものだ。相手がどんなに優越感に浸ろうが此方が感じ取らなければ存在しない悪意だ。


全ての言葉は自分の受け取り方次第。悪意と感じ取れば悪意となる。とすれば、悪意にならないように悪意と取らなければ良い。私は言葉を清らかなる調べとして取りたい。たとえ汚い言葉だったとしても。どの様な言葉にも。私の耳は、私の目は、言葉や文字を美しい物として捉えるよう存在しているんだよ。誰が何と言おうとも、言葉には美しさが秘められているのだ。私はそう思っているよ。