いい人とは正義を振り翳す者なり


「ヘボメガネ一進一退 - 「いい人」になる必要なんて無い」を読んで。


それに、努力して勝ち取った「いい人」なんてのが欺瞞に満ち溢れた一番汚らしい人間なのだから。出来れば僕も、そろそろ「いい人」の仮面を脱いで楽になりたい。本当のいい人というのは努力じゃなくて、天性の素質として与えられるものなんだろうな。そんな人に僕は今まで会ったことが無いけれども。


本当のいい人などただの一人もいないよ。hebomegane氏が「会ったことが無い」と言うのもそれは当然だ。人間には天性の素質として与えられた「いい人」などいないと私は思っている。全てのいい人は努力していい人になっているに過ぎない。
氏にとってはそれは「欺瞞に満ち溢れた一番汚らしい人間」なのだろうが、私はそういった努力は否定はしないし、寧ろ愛しく思う方だ。
一番汚らしいと言うからには「いい人」の仮面を脱いだ「悪い人」は汚らしくないということになるよな。確かにそのままの自分でいることは正直なことで汚らしくないのだろう。だから、仮面を脱いで正直に生きるのもいいと思うよ。それで楽になれるのなら。
しかし、私にとって「いい人」の仮面をつけている者は汚らしい人間ではない。私にとって一番汚らしい人間は、自分がいい人を演じているのを気付きもしない馬鹿者だ。自分は後ろめたさを感じながらも他人の目を気にしていい人を演じなければならない者はまだましだと思っている。


自分は「いい人」だと信じきっている人はよく正義を振り翳す。そして、正義を振り翳していることを全く気付きもしないのだ。私はそういった「いい人」を心底嫌っているよ。


【追記】hebomegane氏よりコメントを頂いた。


欺瞞に気づいているだけマシって考えもありますが、それは安全圏で胡坐をかいているような物かなと思い敢えて書きませんでした。あと、僕も本当はいい人が存在して欲しいとは思ってます。


安全圏で胡坐をかいているのは誰の事だろうか? それは氏自身の事なのか、それとも欺瞞に気付いている者の事だろうか。だが、どちらにせよ、私は安全圏で胡坐をかいているとは思わないがな。だが、氏が言われるようにそういった者がいたとして、私は安全圏で胡坐をかいている者もそれほど汚らしいとは思わない。私にとって「気付かぬ者」が一番汚らしい人間だと思っている。気付けよ、何故気付かないんだ、と。それは私自身にも言える事だ。


それから、氏は「いい人が存在して欲しい」と言っているが、それは努力していい人になっている人の事ではないのだろうと思ったのだが、如何だろうか。ならば天性のいい人が存在して欲しいと? しかし、私は天性のいい人など存在しなくてもいいと思っている、私は、だが。努力していい人になっている人を私は肯定したい。心からそう思っている。