こんな私と繋がりたいと言ってくれて有難う


「明日は明日の風が吹く - 骨を拾い合う間柄 - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園」を読んで。


 コメント欄を開けて欲しいなぁと思っている私だけれど、それでもこうやってやり取りをしていこうと思っている。関わりたくないと思われても、私が関わりたいと思うような文章を書く人とは、何らかの形で関わっていきたいし、やり取りが出来るのであればやり取りをしていきたいと思う。


私は確かに「こういう接触の仕方が嫌いな者とは関わりたくない」と書いた。それは相手がそういった回りくどい事をする私に対して嫌悪感を持つだろうという推測の元で抱いた気持ちであり、つまり勝手に相手の気持ちを私が決め付けた事による思い込みではあったのだ。「関わりたくない」と言えば、大抵の人間は不快感を持ち回れ右をするだろうからな。だが、中にはyas-toro氏のように「それでもやり取りをしたい」と言って下さる方もいる。つまり、私はそういった困難を乗り越えてでも私と繋がりを持とうとして下さる相手を求めているということなのだ。
私が積極的に直接的に接触しようとしないのも、この様な私を受け入れてくれるだろうかという気持ちがあるからだ。
こういった状況で掴み得た相手は何よりも宝物だと私は思っている。この様な私でも受け入れてくれる、そんなネットの世界に心から感謝しているよ。


私は何時でも去っていく友の背中を見送るだけだった。いや、見送るだけならばまだましだ。感情的な私は何時でも「行かないでくれ」と泣き叫ぶように手を伸ばしていたのだ。心の中で。時には文章で。それは相手を追いつめ、追い込み、その人の隠していた本性さえもあぶり出し、それを意識していなかった相手までをも恐怖させたものだった。「私はこんな人間だったのか。こんな醜悪な人間だったのか」と驚愕を与えたものだった。そんな見たくも無いものを強引に私に見せられたら誰でもが私を憎む事だろう。そんな私なのだ。なかなか受け入れようとする者は出てこない。それでも何時かこの様な私でも「繋がりたい」と思ってくれる人は出てくるだろうか。信じてもいいだろうか。私が求めて相手も私を求めてくれるそんな人が。そう思い続けた私だったよ。


私は今一番充実して心から幸せを感じている。有難う。こんな私を受け入れてくれて。それが私はとても嬉しい。