海より深く太陽よりも苛烈に愛したい


「Lost Control 怒り、そして憎しみについて」を読んで。


言われた相手の感情に配慮もせず、自分の言いたい事を言ってスッキリすればそれでいいのか?
憤懣やるかたない思いである。


kinya氏の書かれたこの記事には、私にとってはとても辛く心にナイフを刺されたような気持ちになる事が書かれている。
私も激情に駆られると己の言いたい事を思うままに相手にぶつけてしまう人間なのだ。そして、過去に何人も氏が抱いたような憤懣やるかたない思いを相手に抱かせた筈。その都度反省はするのだが、如何しても再び誰かを私の言葉という刃で傷付けてしまうのだ。
今はまだいい。此れからまた誰かを傷付けてしまうのだろうなと恐れてもいる。だが、それでも私は何かを書かないではいられないのだ。


ただ、思ったのだが。誰かが困っている時に迷わず手を差し伸べる人間が、果たして本当に相手を思いやる配慮のある人間であるのか如何か。何方かが言っていたが、そうやって他人に親切にする事で自分を守っているという者もいないわけではないよな。此処で手を差し伸べなければ第三者から非難される。それが怖くて、それで手を差し伸べるという行為に及ぶ。そういった己の心の底にある真実の気持ちに気付かないのならまだいいが、一瞬でもそういう偽善と言われる行為を自分はしているのかもしれないと気付いてしまったら。


私には分からない。如何在ればいいかなど。如何すれば良かったのだ? 私も言いたい事を我慢して腹を立てた事も言わずにいた方が良かったのか? そうであれば優しい記憶の中で私はその人の思い出に加われたのだろうか? だが、分かっていた筈だ。私がこの様な人間であった事は。だからこそ、その人は私に対して本心は話せなかった。それは何故だ? そう、それは私を好きでいてくれたからだ。人に好かれるという事が此れほど辛いものだとは思わなかったよ。だから、お願いだ、私を好きにならないでくれ。私に関心を示さないでくれ。私を独りにして置いてくれ。私には誰も幸せにする力はないんだ。だから、頼む。私を好きになるな、と。


話は逸れるが。


kinya氏のこの記事を読んで思い出した日記がある。それは事情があって此処では紹介出来ないのだが、その日記には、脳の疲れを解消させる方法に一番嫌いな人間を思い浮かべる事であると書かれてあった。正直驚いた。一番好きな誰かを思い浮かべれば疲れは取れると思ったのだが、そうではないらしい。それについての理由は書かれていなかったので如何いった理由で疲れが取れるのかは分からないが。
その日記を書いていた方は、激しい憎しみというものを感じた事が無いという。どうやら誰かを好きではないと感じたら途端に興味を無くしてしまう性格らしく、激しく憎むという所まで感情が行き着かないらしいな。それは私にとっては羨ましい性格だ。
だが、それでも己の性格を手放せないのは、憎しみと同じくらい誰かを深く激しく愛するのが私という人間であると思っているからでもあるか。


最後に憎しみ合って別れてしまうとしても、私は海より深く太陽よりも苛烈に愛したい。そう思っているよ。