ネットを通じて触れるあなたは遠いようで近いのだよ


「北の大地から送る物欲日記 - ネットを通じて触れる世界は近いようで遠い」を読んで。


昔は私も懇意にしているサイトが閉鎖されたら悲しんだり止めるのを留めさせたりしたが、今思うと虚無感を感じていたのもそう感じていたつもりだったのかもしれないと思い始めている。
私は激情に駆られやすい人間でもあるので、プラスでもマイナスでも果てしなく突き抜けてしまう所があったのだが、今は多少残念だと思う位で、それ程深い虚無感や悲しみに囚われる事は無いようだ。しかし、これは逆に「あなたも簡単にネットから消えてしまうのではないか」と思われるかもしれないな。それはそうかもしれないが、それでも、自覚をしていれば存在し続ける事は意地で続けていく事も出来る。誰も期待をしていないようだと思っても今は続けられるという確信があるので、恐らく突然にこの世界からいなくなることはないだろう。リアルでの死が訪れない限りは。


こんな私にもネットで知り合って、それからリアルでも直接出逢った相手もいるよ。その人とは住んでいる場所も互いに遠いという事もあって、もしかしたらたった一度の出逢いだけで死ぬまでもう逢う事は無いかもしれないが、それでも何年かに一度はメールを交し合う事もあるわけだ。何時もネット上で出逢ってるわけでもないが、何時もネット上で言葉を交し合っている人よりも強い繋がりを感じている。
だから、私にとってネットで知り合った人たちは密接にコミュニケーションしていないとしても、遠いようで近い存在だと思うのだ。


 相手のことを捕捉し続けるのは無理だとしても、少なくとも自分が変わらず存在してるんだよ、ってことが分かる場所ってのは確保し続けたい。やっぱブログがそれになるんだろうか?


なると思うよ。私は此処でこのまま変わらず存在していたいと思っているし、別の場所で放置されている場所にしても、その場所の「私」もずっと変わらず其処に存在し続け、旧知の仲であった誰かがふらりと訪れてきて「ここは変わらないなあ」と思ってくれるのを願っている。