私という存在をあなたの記憶に残してくれ


「はてなブックマーク - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は忘れない絶対に」のコメントを読んで。


hashigotan氏が「嫌われた方が、印象に残るんだろうなとは思う。お行儀のいい良い子ちゃんより、クセの強いブロガーの方が印象に残る。」と書いて下さっているが、それは嫌われるだけでなく異常に好かれる場合にも言われる事だと思うよ。何も行儀の良い人間がクセが強くないというものでも無いと思うがね。余りにも正義感が強過ぎるのも印象に残る場合もある。だから、何事にも極端な性質の人間が印象に残るという事だろう。とは言え、平凡を嫌っているわけではない。平々凡々な人間でも私は惹かれる事もあるからな。


それから、mind氏のコメントで「内部記憶の容量限界 refresh喚起しないうちに、新しいモノをどんどん入れてくと、自然に忘れてしまう。。忘れるのを虞れないために、はてブは有用。」と書かれてあったが、記憶の整理がされない内に新しい情報が入ってくると、確かに今までの物が褪せてしまい忘れてしまう事もあるだろう。
だからこそ、それを忘れたくない為に、ちょっとした考えや出来事等をこうやってブログに書き記して置く事は、氏の言われる「忘れるのを虞れないために、はてブは有用」と同義なのだ。私はこの様にブログに書き記して置いて、後に読み返した時に「そういえばそんな事を考えていたよな」と思い起こす。書き留めて置かなければ、誰かの書いたもので思い浮かんだ考えを、それが余程印象強い考えでない限り思い出す事もないだろう。そして、その考えは私だけでなく、私のブログを読んだ人の記憶にも残る。何時か何処かで誰かが「そういえばこんな事を誰かが考えていたよな」と、ふとした拍子に思い出してくれればそれでいいかな。もし、その人が、私の書いた記事をご自分のブログで取り上げて何かを書いていれば「そうか、あの人の書いたものだった」と私の存在までも思い出してくれる事だろう。そんな風に誰かの記憶に残る事こそ、私が一番望んでいる事なのだ。


あなたの記憶に私を残してくれ。私という存在を。私が何を考え何を言っていたのか。それをあなたが覚えていて欲しい。


そして、記録も記憶も同じとしか見れないと言った私に「単にそれが「消える」タイミングを重視したからでしかありません。」とgitanez氏が更なる補足記事を書いて下さった。


「DESIGN IT! w-LOVE 記録と記憶:2つの異なる消滅のタイミング」


記録はそれがのったメディアが崩壊した際に、記憶はそれがのった人が死んだ際に、それぞれ失われます。
死んだら終わりか、死んでも残るのかってところがポイント。


記憶はその人が死んだら失われ、記録は形のある物が壊れてしまった時に失われるといった事なのだな。
記録として残すという事は、先程私が書いたように、書き留めて置く事で私自身だけでなく、他人もそれを覚えてくれるという利点があるわけだ。だが、それも覚えて置きたいと思ってくれる物で無ければ消えてしまう物だろう。


私は誰かにとって覚えて置きたいと思える物を果たして書いているのだろうか?
そうであれば良いのにと思うよ。