私は忘れない絶対に


「DESIGN IT! w-LOVE 記録と記憶:あるいはブログを書き続けるということ」を読んで。


頭の悪い私には「記録」も「記憶」も似たようなものに思える。gitanez氏が書かれているこの記事では異なると言われているし、それが正しい事なのかもしれないが、記録も記憶も何時かは消えてしまうという点で私には同じに思えるのだな。
gitanez氏がこの記事で何が言いたかったのか私には分からないが、ただ最後の一文には共感した。


記録と記憶のからみあうブログの記述は、自分と他者を結びつけずにはおかないのではないでしょうか?


ブログは記録でもある。そして、書いている方の記憶にも成り得る。そして、それは自分の為に成されたものだろうが他人の為に成されたものだろうが、どちらでもいいと私は考える。だが、確かに自分と他者を結びつけるものであることは確かだ。全く誰とも交流をせずに書き続けていたとしても、誰か一人は恐らくそっと見つめてくれていると思うからだ。例え全く誰も読んでくれていないとしても、それでも私は信じたい。きっと誰かが見つめてくれていると。それが検索で辿り着いた一見さんであったとしても、それでもそこに瞬間の繋がりが生まれる。もう二度とその人が訪れないとしてもそれでも。


「はてなブックマーク - 記録と記憶:あるいはブログを書き続けるということ DESIGN IT! w-LOVE」のコメントでhashigotan氏は「いつか完全に忘れる時がくるかもしれない。」と書いているが、「はてなブックマーク - 歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 此処が閉鎖されるのは私の死するとき」のコメントでも書かれている方がいるように、強烈な印象を残したブロガーは決して忘れることはないのではないかな。
少なくとも私はそうだ。もう二度とその人に巡り合えないとしても、私は絶対に忘れない。そんな相手を私は何人も心に抱えているよ。相手がその気にならない限り、私とは接触してくれないような人がね。


私は忘れない。絶対に。忘れるものか。