語りたくなったら何時か語る事だろう


「明日は明日の風が吹く - そっとして置いて欲しい変化もあるのだよ(from 歓楽叶わぬ納骨堂庭園)」を読んで。


そして、yas-toro氏も答えを書いて下さった。有難う。


 ただ、考えが変わるパターン以外に、自分の中に幾つかの考えがあって、それが時と場合によってどれが出てくるかが変わるとしたら……どのポイントでその違う考えが出てくるのかという部分に興味が湧く。


成る程、氏も私に対してという訳ではないのだな。
私の考えはほとんど変化するという事がない。誰かの書いた事柄で、私の中に眠っていた考えが目を覚ますといった感じなのである。勿論、それだけでなく、思わず膝を叩きたくなるような目新しい考えを聞く事もあり、それは元々私が持っていた考えではないのであるが、それらは新しく私の頭に蓄積される。そして、誰かの書いたものを読んだ時に「そういえば」と浮かび上がってくるわけだ。つまり私の場合、私の書いた物を読んでいればどこがポイントか分るはずだ。誰かの書いた文章のこの部分で「そうだったのか」といったような事を書いているのだから。


ただ、そうだな。私にも認めたくない考えの変化というものもある。それを掘り起こされるのも嫌な変化というものが。だからこそ「聞かせて欲しい」という言葉を聞くと過剰反応を示してしまうのだろう。
今になってやっと、私から「聞かせて欲しい」と言われて苦しんだ人たちの気持ちが分るとは。因果応報とはこの事か。それともまだ嫌がる人の気持ちも分るようになっただけマシな人間になったと言うべきか。


私も語りたくなったら何時か語る事だろう。何を語るかは神のみぞ知る、なのだが。