揺ぎ無い自己を確立したい

私は、書かれているものに強く共感してしまうと、どうしてもその人をそのまま信頼してしまうところがある。だが、その今まで好きだなあと思っていて読んでいたテキストが、ある人の否定で何もかも信じられなくなり、さっきまで素敵だと思っていたテキストを書いている人にまで懐疑的な目を向けるようになってくることもあるのだ。否定した人もまた素敵な人、素敵なことを書かれる人だなあと思っているので、そんなふうになってしまうのだが。そして、そんな人が私の相手をしてくれると思うと、何が何だかわからなくなる。その人が、今まで私が好きだと思って読んでいたテキストを何かひとつでも褒めることでもあれば、全部を否定しているわけではないのだと思えるのだが、それがない場合、さて、私はどちらを信用すればいいのだろうとなってしまうのだ。

 

馬鹿げたことだよな。

 

自分がないというか、他人の言葉に振り回されているというか。私に影響を与えてくれている人、すごく今は自分にとってどうなんだろう、一緒にいていいのだろうかと思うときもある。だが、恐らく、そういった人と一緒にいても、その人が「この人変だ」と言っていたとしても、それをスルーして「自分はいいと思った」と強く言えるようになるのが一番いいのだろうな。

 

自分に自信を持つということはきっとそんなことなのだろう。

 

書かれていることはその人の全てなんかじゃない。私だってそうじゃないか。そんなことを忘れていたよ。そうか、あまり書いている人に感情移入しては駄目なのかもしれない。書かれていることが全て、なのだ。書かれていることで共感できたら素直に共感し、感動できるなら感動し、これは違うと思ったら違うと言い、それは変だと思ったら変だと言えばいい。書いている人にまで深く関わろうとすると書かれているものを自分の目で評価できなくなる。そんな気がしてきた。

 

揺ぎ無い自己を確立したい。すっくと立てるそんな人に。