私は気遣いの出来ぬ人間なのだよ

Twitterで繋がっていたある人が数年程ツイートが途絶えたことがあった。一応ダイレクトメッセージで声はかけたのだが、それに対してのレスは無しで、もしかしたらネットに繋げられない状況になってしまったのかもしれないと心配をしていたのだが、最近、ツイートが再開された。だがしかし、途絶えていた数年についての説明は全く無く、普通にツイートしており、送ったメッセージに対してのレスも相変わらずなかった。昔の私であったなら、どういうことかとメッセージを送っただろうが、今の私にはそれが出来ない。似たような状況になって再び連絡を取り合った結果、酷い別れを経験したことがあるからだ。そんなことくらいで壊れる関係なら気にするなと今の私は思っているが、それでもその方は私が一番苦しんでいた時に寄り添って下さった方だったので、白黒はっきりさせるのが少々怖いというのもある。もしかしたら、その方はもう私などと繋がりたくないと思っているやもしれぬ、と。そういった気持ちもあり、声がかけられなくなってしまった。

 

前置きがとても長くなってしまったが、とあるブログが4ヶ月ぶりに更新されたのだ。そして、そのブログの更新が止まった時の記事を私が取り上げたことがあり、もしかしたら私が取り上げたせいだったのかもしれないとずっと思っていたこともあり、今回更新されてほっとしている。勿論、その方に「私のせいか」と聞いたとしても「違う」と言ってくださるだろうし、更新されなかった理由も今回書いておられたので、それを信じればいいだけなのだが、如何せん、今の私は昔と違い、かなり疑り深い人間になっており、素直に信じきれないところがあるのだ。それもあり、今回はこんな風に匂わせるだけでその方の記事は取り上げない。こんな私ではあるが、申し訳ないという気持ちもあるからな。過去、私に書かせるものを書いている方がいて、続けてその人の書いた物を取り上げては記事を書いていたら、当時は喜んでくださっていたのが、後にとても嫌悪感を抱いていたと罵られたこともあり、好意的なレスがそうでないことも多々あるのだと思い知ったことがあるからな。その人の本心はその人にしかわからない。そして、私はどうしても信じきれない時もある。恐らく、信じられるに足る確固たる繋がりを築き上げられぬ限りは無理なのだろう。

 

その方のブログも読者数が数百越えであり、私のブログなど足元にも及ばぬ。嫉妬しているかと言えば、正直なところ、何故か嫉妬はしていない。読まれない自分の力量はわかっているからな。力量というか、私には万人に読ませる魅力がないことは十分すぎるほどわかっているからだ。文章が下手くそであるとは流石に思ってはいないが、読んで下さる人が少ないということは、文章の上手い下手ではなく、筆者の人柄なのだろう。とかく私は多くの人間に嫌われる性質があるようだ。まあ、わかっていたことではあるがな。ごく一握りの方々には好んで貰えるようではあるが、読者数が数百数千とつくことはまず間違いなく無い。だが、それを悲しく思うこともない。悔しく思うこともない。何故なら、私の書く目的が多くに読まれることではなかったからだ。私はいつでも特定の存在に向って書いているからだ。「その人」が読んでくださればいいと思っていつも書いていたからな。勿論「その人」は一人ではない。記事毎で違う相手に書いているわけだ。

 

昔は確実に読んで貰うために記事自体を取り上げて書いたものだったが、今の私は少々意気地なしに成り下がっているな。こんな私であるから、知り合っても皆離れていってしまうのだろう。それはもうどうしようもないことだ。粛々と受け入れるしかない。