終幕を見据えて

私は聞く事しか出来ない人間で、その人に何か困ったことがあったとしても、昔から私は話は聞くが何も出来ないよといつも言っていた。私は自分の事しか考えていない人間でもあるから、愚痴を言ってきた相手の助けを場合によっては出来ることもあったりするのだが、私はそれを黙殺する。そういう人間なんだよ、私はな。

 

昔からの知り合いに義親の介護をしている人がいるのだが、その人はその大変さを愚痴として私に聞かせるのだ。勿論、私は聞くだけなのだが、そういった境遇の人はその人だけではない。義親だけでなく実親の事も介護をしている人もいるだろう。実親であっても精神的な負担はあるのだから、義親であればその人の心中は推して知るべし、だ。巷では、その介護問題で殺傷事件も起きたりしているよな。知り合いもそんなことにならなければいいのにとは思うのだが、この間、その人がこんなことを言っていた。「こんな思いを自分の子供にさせたくない。自分が動けなくなったら、いや、動けなくなる前にでも自死した方がいいかもしれない」と。だが、それをする勇気が出るだろうか、とも。

 

勇気といっていいのかどうかわからぬが、その人の気持ちも今はわかるかもしれない。もっと若い頃は、自死を選ぼうとする人に対して「死ぬな」と声をかけ続けてきたのだが、今はそういう人に対して何も言えなくなってきている。人は何時か必ず死ぬ。だから、何も自分からそうしなくてもと思ってきたものだが、もう若者とは言えない自分、しかも病気がちな自分は何か言う資格もないかもな。人は自分で自分の幕切れを決めてもいいのではないか。今の私はそう思っているよ。