理想と現実

私の持論に、どんな考えであっても表明してもいいというのがある。つまり、これこれらについて自分はこう思う、というのを、自分だけしか読めないチラシの裏ではなく、こんなふうに誰でもが読めるブログなどで書くということだ。それは、時には賛辞ではなく辛辣な批評なども含まれるのだが、手放しの賛辞であっても叩かれることもあるので、いわんや賛辞の反対であれはなおさら激しく信者から叩かれてしまうだろう。それでも私は様々な考えを知りたいと思う。なので、人々は忌憚なく自分の正直な考えを書き綴って欲しい。ただし、それは危険な行為でもある。そうやって正直な考えや気持ちを綴ることによって、犯罪に繋がってしまうこともあるからだ。昔は私も自分の好きなものを手放しで褒め称え、私の好きなものを好きじゃない人が突いてくるのに対して果敢に戦ったものだった。それでもいい、自分の好きと相手の好きが違っていれば齟齬が出てきてしまうのはしかたないことであり、その齟齬さえも楽しめることが理想的な意見交換だと私は思っているのだが、そうは思わない人たちのなんと多い事か。そして、それが高じて果ては相手を排除しようと犯罪に手を染めてしまう人が出てくる。それもまたしかたないことなのかもしれない。なので、そうならないように、今現在は正直な本当の自分の気持ちを綴れなくなってしまった。これもまたしかたのないことだな。結局は、平穏に生きていこうとするなら、正直な気持ちで戦わないこと、なのだろう。そうすると、誰かの正直な気持ちを私は知る事は出来ない。堂々巡りだ。理想と現実との間で私は深くため息を吐くしかない。本当に虚しいよ。