誰が私に気付くだろうか

「今年一年、ブログを書く目的や欲求のアップデートを怠っていた - シロクマの屑籠」を読んで。


もう一度書くが、この私がブログを書く目的は「読んで頂きたい方に読まれたい為」と「ブックマークを頂きたい方に貰う為」と書いた。それが果たされたのだから、私はもうブログを書く理由は無いと思ったのだが、当初の目的の先に、新しく読んで頂きたい方、ブックマークを頂きたい方が出来てしまい、書き続けたいとなったわけだ。


「自分を表現する手段」とはどういうものなのか、もう少し真面目に考えてみようと思う。ブログもインターネットも、あくまで手段であって目的ではないし、まして欲求そのものではない。「ドリルに熟達することは手段でしかなく、穴を開けることこそが目的」って比喩と同じように、ブログやネット処世術に熟達することは手段でしかなく、自分には自分なりの目的や欲求があった筈だ。そこらへんと向き合ったうえで、来年ブログに書くべきこと、やるべきことを考え直していかなければならない。


p_shirokuma氏が書かれているように、私もブログは「自分を表現する手段」だ。そして、目的は先に書いた通り、読んで頂きたい方に読まれる為、ブックマークを頂きたい方に貰う為である。が、しかし、以前であったら、読まれたい相手は他人にもわかりやすく、つまりはリンク先、引用先がその読まれたい相手であった。だが、何時の頃からか、その読まれたい相手はリンク先の筆者だけでなく、別の特定人物へも期待を込めるようになっていったのだ。そちらの方はその相手に私の気持ちは知られたくなかった。知られたくなかったのだが、気づいて欲しいという気持ちは抱いていた。本当に私という人間はひねくれていると自分でも思うよ。