清濁併せ持つことが大事なのだ


「世の中の「いかなる理由があったとしても、違法行為には許される余地はない」という空気は、俺のせいなんです、という話。 - 23mmの銃口から飛び出す弾丸は」を読んで。


梁氏の著作云々の問題ではなくて、俺が力量不足だったために、生徒たちの文章理解を深めさせることが出来なかったのですね。


nijuusannmiri氏が出来なくても他の教師がそれをやっただろう。人には向き不向きというものがある。幾ら本人にやる気や熱意があったとしても、教師には不向きな人間が無理をするとろくな事にならない。精神を壊してしまう危険性は大きいと思うよ、今の時代の教師という職業は。ましてや、氏はそのやる気や熱意があったようには思えない。だから教師を辞めて氏は良かったのだと思う。だが、私の感想としては、氏のような人が教師には必要なのではないかとも思っている。私が考える一番教師に相応しくない人間は、己の信念に一片たりとも揺るぎがないという人だ。常に「これでよかったのだろうか」と自問自答するような者が教師には必要なのではないかと考える。だがしかし、そういった者は往々にして心が弱い。心に傷を作ってしまう恐れもある。それもあり、強く「教師にはあなたのような人が必要なのだ」とも言えぬ。


「お前なんていらね」と言われる可能性大ですけどね。


世間はそれほど私の考えから外れているとも言えないと私は思っている。だから、氏のような人が教師に相応しいと思う者もいないわけじゃないと思っているよ。私よりは絶対に氏のほうが相応しい。次のように言える氏であるから。


「世の中の空気を変えよう」なんて大それたことは言えないけれど、「潔癖症もいいけど、行き過ぎじゃない? それっておかしくない?」と考えてる大人もいる、ということぐらいはね、示していきたいです。実生活で。


それが良いのだという考えはあるものの、私は示そうとは思わないから、だから私は教師には相応しくないのだ。尤も示そうという意思を持っていないというだけで、示しているのだと言われても何も言えぬ。現に「私はこう思うよ」とこのように公の場所で己の考えを書くことも氏の言われる事と同義には違いないのだからな。