一歩が踏み出せない悩ましい夜だ


「Ladder to the Moon - ブクマコメントで傷ついたときにどうするか」を読んで。


私の記事にもブックマークでコメントを下さる方が数は少ないがある。その中には勿論ネガティヴなコメントを下さる方もいる。それに対して私は傷付いたとかそういった言葉は発した事は無かった筈。だが、実は、此れまでに私を傷付けたコメントを書いた方がいるのだ。誰がとは言わないが。しかし、私は一般的な方のようにネガティヴなコメントで傷付く訳ではない。好意的なコメントでも私は深く傷付く事がある。どの様な言葉で傷付くのか、それは勿論言えないし言うつもりも無い。言ってしまったら誰が私を傷つけたのか特定されてしまうからな。


私はどちらかと言うとladdertothemoon氏寄りの人間なのだろう。氏のように執念深く「あの人はあの時この様なコメントを書いたのだ」とずっと覚えているからだ。それは、そのコメントを下さった方が私にとって特別な人間だからに他ならない。自分にとって大した存在でなければここまで執念深く覚えるという事は無いだろうしな。とは言え、氏がそうではあるとは言わないが。


私が「あなたのあの言葉に傷付いた。その理由はこうだ。だから私の気持ちを分かってくれ」と言えたのなら、それは私の本音であるから相手に気持ちは届くだろう。だが、それを言ってしまったら、私は私の中での相手が特別な人間ではなくなるのではないかという恐れを持っているのだ。だから言えない「あなたの言葉に傷付いた」とは。その人は私にとっての特別で有り続けて欲しいと私は願っているのだな。だが、そうであれば、私は永遠にその人とは繋がれないという事なのだ。特別な相手は特別であり、同じ目線で同じ物に対して語り合う事など出来ないだろう。私は如何したいのだろうか。書いていくうちに自分の気持ちが分からなくなってきたようだ。私はその人を私の心から無くしてしまうべきなのだろうか。それとも玉砕を覚悟で本音をぶつけるべきなのだろうか。その一歩が如何しても踏み出せない。如何しても。


またしても言及になってないな。如何しようもない奴だ。(苦笑)


【追記】「とりもなおさず はてな出張所 - スルー力」を読んで。


私が今までに読んできた物の中で、最も切なく絶望が表現された詩。一番嬉しかったトラックバックだ。有難う。