結局は類は友を呼ぶという事なのだろう


「旧・他人の不幸は蜜の味「批判や反論……オトナの対処法は?」正式出品作品」を読んで。


私も議論が苦手だ。それもコメント欄を開放しない理由の一つであるかもしれない。はてなブックマークで否定的なコメントを頂いたとしても、ブックマークのコメントの場合は答える必要も無いからな。勿論、コメント欄でコメントを頂いたとしても答える必要は無いのだが、私でさえも、必ず答えなくてはならないという強迫観念に囚われてしまうのではないかと危惧しているのだ。私は激昂するタイプでもあるので。lsty氏は議論が苦手な理由に次の事を挙げている。


日本人は「他者を理解している・自分が理解されている」ことを「前提」としてコミュニケーションをとる傾向にある。


成る程。私も確かにそういった所があるかもしれない。自分では理解したいという気持ちが無いわけではないが、矢張り「理解されているようだ」と思う相手に寄りかかる傾向があるからな。だが、それも以前よりは随分と寄りかかる事も少なくなってきたようにも思う。ただの思い込みでない事を祈りたいものだが。(笑)


 油断した状態で、自分とは反対の意見、時によっては過激で不快な意見を読んだ時、どうなるか。
 「バカじゃねーの」ですね、一言で書くと。


自分とは違う意見が書かれている事で「この人は馬鹿か?」と思った事が全く無い訳ではない私ではあるが、私もわざわざそれを相手側に知らせる事はしない。だが、はてなブックマークで他人が書いているコメントを読んでいて「こいつは馬鹿か?」と書き捨てていなくても不快に思うコメントを書いている者もいる。その場合、まだ「馬鹿」と一言書いてある方がマシだと私は思うので、全ての「バカじゃねーの」コメントが悪い訳ではないと考える。勿論、それは私の感じ方に過ぎず、他人とはまた違うのだろうという事も分かっているつもりだ。


 ただ「バカかどうか」「おかしいかどうか」っていうのは、極めて主観的なんですね。「正しいかどうか」っていうのとは違うんです。論理展開がおかしいとか、情報元がおかしいとか、そういう指摘はほとんど見ません。
 だから「バカ」「おかしい」の判定というのは、批判コメントを残す人のこれまた「主観」に基づいて下されるわけで、批判コメントの大多数は、主観的・感情的だと言って良いでしょう。


相手を批判する場合に、よく問題に挙げられるのが「自分がおかしい」ではなく「皆がおかしいと思っている」というものだ。「あなたのことを皆はおかしいと思っているよ」という言葉は言っても意味の無い事であり、それは当たり前の事であるのだが、それを失念して声高に主張する者もいるよな。自分が「こいつはおかしい、こいつは馬鹿だ」と思う事は別に良い。だが、皆もそう思っている等とは矢張り言うべきでは無い。言ってもいいが、言えば言った本人も他の誰かから批判されるだろう。いいじゃないか、「私はあいつの言っている事、あいつのやってる事はおかしいと思う。馬鹿な事をやっていると思う」で。その人にとっては他人のやってる事が「おかしい」と思えるのだから、それを素直に出せばいい。尤も心の中に留めて置けば一層いいとは思うのだが、それを吐き出してしまっても構わない。幾らかの覚悟があればの話ではあるが。私は覚悟が無い。誰かを馬鹿と言えば、それを言う己も馬鹿であると考えるので、余り言いたくない。私は自分を馬鹿であるとは思っているが、他人に馬鹿と言われれば、流石の私も内心穏やかではいられないからな。


 人は、一方的に見下されると、それよりも上に行って、逆に見下してやろうと思ってしまうのですね。匿名のコミュニケーションでは正にそういう心理が働きます。


「バカじゃねーの」というコメントで見下されていると感じてしまう場合もあるだろうが、私の場合は先程も書いたように直接的に「馬鹿」という言葉を貰ったとしても見下されたとはあまり思わない。それよりも直接的な言葉が無くても相手に見下されていると感じ取れるコメントに対してはかなりの憤りを感じる。勿論、それは私がそう感じるだけであり、発した相手はそこまで考えて言葉を発している訳ではないのだろう。だが、それも分からない。その様に意図して相手は発してはいないとは誰にも言えない。巧みに自分には非の無いように意図して相手を馬鹿にするコメントを残す者もいない訳ではないと私は思うからだ。
それと言うのも、昔の私はその様なコメントを残す人間でもあったからだ。私はそういう性悪な所がある人間でもあった。今もそんな所が無い訳ではない。今は安定した感情を保っているので己の負の部分という物は出てこないが、感情が爆発した場合、また私は愚かな言動をしてしまうかもしれない。


lsty氏は理想的な批判への対応に、理解したいという姿勢を見せるという事を挙げているが、これもまた全ての批判者に有効でもない。今まで私が相対してきた批判者には、そういった理解を示して対応しても全く効果が無い相手もいたからな。それは恐らく、私と似たり寄ったりの大馬鹿者ばかりだったという事なのだろう。類は友を呼ぶとも言うしな。(苦笑)


果たして、私は少しはまともな人間になっただろうか。そうであって欲しいと思うよ。