「ここじゃない遠くに行きたい」は危険ではないよ


「esereal - 私は日記を書くことを愛しています」を読んで。


「頭のいい人の日記」とはどんな日記であろうか。もし、voorey氏が私が書いているこのブログを読んだとして、私の事はどう思うだろうか。
以前、私の日記を読んだある人が「あなたは頭がいい」と言った事があったが、別の誰かは「あなたは頭悪いですね」とも言っていた。私も他人の日記を読んで「この人は頭がいいな」と思った所、別の誰かがその日記の作者を「こいつ頭悪い」と評していた事もある。結局、私は「頭のいい人の日記」がどんなものか理解する事は出来なかった。
だが、恐らくそれでいいのだ。万人が認める頭の良さなど恐らく無いのだろうな。


氏が言っている「教養ほとばしる日記」は私にとっては頭がいい日記とは思えない。無教養でも「この人は頭いいよなあ」と思える場合も私にはあるからだ。
そもそも日記に頭の良さは求めるものではないと私は考える。日記は日記でしかない。日記は頭の良さを見せる場所ではない。日々の暮らしぶりや思った事等をそのまま書いていけばいい。「エンディングテーマ作詞作曲が新居昭乃」で良かったと安心するという事を読めて温かい気持ちになる人間も此処に一人居るのだという事を氏には知ってもらいたいと思うよ。これからも日記を書く事を愛していって欲しいと願う。


所で、新居の音楽を聴いて「ここじゃない遠くに行きたい」と思ってしまうのは氏だけではない。その考えは氏にとっては危険なのかもしれないが、私にとってはそうでもない。何れ私達は此処ではない何処か遠くへと逝ってしまうのだ。約束された事なのだ。何かのきっかけでそう思ってしまうのは至極当たり前だと私は思っているよ。