昼の白い光の中、私の傍にもあなたが立っている


「勝ち猫 もちの マターリぶろぐ またーりしようよ’ロマンティック」を読んで。


私の記事「歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 矛盾を受け入れた時から生き易くなった」で、私は今の子供にも適度に傲慢な子供はいるだろうかという問いかけをした訳であるが、motimoti3氏が記事を書いて下さった。


氏が教えて下さったエピソードを読んでみて、そうだ、子供とはそういう理不尽な言動をするんだよなと苦笑してしまった。私もそんな様な子供だったよ。(笑)
そうか、今の子供でもその様な子供はいるんだな。


人見知りで内気な皮肉屋で恥ずかしがりやだった自分の幼少時代と比べると最近のこどもは素直で大人っぽい振る舞いをするのでびっくりする。もしかして猫をかぶっているのかな。たぶんそうだな。


私の子供の頃にも「素直で大人っぽい振る舞い」をする子供はいたが、とても少なかったように思う。だが、最近はその様な変に大人びた子供が多くなったように私には感じられるな。それが悪いと言いたくは無いが、行儀が良く親切で他人を思いやる一見優しい性格な子供が私は怖いと思うよ。大人にとって扱い易いそういった子供がとても怖い。理不尽で五月蝿くて矢鱈と纏わり付いてくる子供が大嫌いな私ではあるが、それが自然な子供の姿である事は認めるし、私に関わらないでくれればそういった我が儘で横暴な子供がいても構わないとは思う。だが、行儀の良過ぎる子供は私はもっと嫌いだ。


ところで、motimoti3氏が話題に挙げてる子供の喋り方は倒置法でもあるよな。私も文章を書く場合に好んで倒置法を使う事もある。


彼の虫のくわしい説明に頷きながら、
「ねえ、何を知らない?」
なんて話す前にそんなふうに言える人、たぶん、そんなにいないと思うよなあ。。。・・・・なんてロマンティックなんだー、立原道造みたいだあ・・・って、感心していた。


私は立原道造の詩が好きである。「青空文庫」で掲載されている「優しき歌」での「序の歌」「落葉林で」等が好きなのだが、私が最も好きな詩が「また昼に」である。その詩だけは思い入れがあるので手打ちをしてみた。(笑)


「また昼に」 立原道造


僕はもう はるかな青空やながれさる浮雲のことを
うたはないだらう……
昼の 白い光のなかで
おまへは 僕のかたはらに立つてゐる


花でなく 小鳥でなく
かぎりない おまへの愛を
信じたなら それでよい
僕は おまへを 見つめるばかりだ


いつまでも さうして ほほゑんでゐるがいい
老いた旅人や 夜 はるかな昔を どうして
うたふことがあらう おまへのために


さへぎるものもない 光のなかで
おまへは 僕は 生きてゐる
ここがすべてだ! ……僕らのせまい身のまはりに


他に「歌ひとつ」と「子守唄」も好きだな。