大切なのは言葉の見せ方ではないのかな
「瀬戸風味@はてな "自分の言葉"」を読んで。
setofuumi氏のこの記事を読み、思う所があって書いてみる。氏の取り上げた記事に書かれている「自分の言葉」の意味が私にも分からなかったので、自分なりに「自分の言葉」という語句について考えてみた。
「自分の言葉」を私は文体として捉えている。私は此処で綴るのが初めてではないので、以前はこういう文章を書いていたわけではない。だから、もし以前の私の書いたものを知っている者が、今の私の文章を読んだら「自分の言葉で語っていない」と言われるかもしれない。それは私としては不本意だ。私は、それ以前にも他の文章で書いていた事もある。だから、その頃の私を知る人間が今の私を見たら「元に戻った」と言うだろう。「自分の言葉」何と曖昧な言葉なのだろうか。
話を戻すが、setofuumi氏が取り上げていた記事で言われる「自分の言葉」とは、恐らく、他人が「こうである」と語っている何かの考えを自分の考えとして「こうである」とブログで書いているといった事なのであろう。
何処の誰の事を指しているのかは分からないが、はてなブックマークで似たような記事を書いている方がいた。それがsweetlove氏の「+LOVE2.0+ - 初心者のための正しいブログのパクリ方」である。
これは「自分の言葉」を盗まれた本人がコメント欄にて「私的にはパクリも転載もコピペも何でもOKです。ネタ元にして頂けるなんてありがたいことです。」と書かれていた。矢鱈と無断禁止を叫ぶ者もいるかと思えば、非常に寛容なこういう人間もいる。ネットの世界は面白いものだ。
setofuumi氏も書いていたが、真似る事はそれ程糾弾されるべき事ではないと私は考える。確かに、そっくりそのまま真似るのは感心はしないが、この私にしても、今の私の考えなどは誰かが発していた考えを「成る程」と知ったことにより自分の考えとして取り入れたものだ。そして、それを自分の考えとして語っている。だから、それで言えば私も「自分の言葉」でなく「他人の言葉」で語っているということになる。だが、私は一旦自分の中で取り入れた考えを捏ね繰り回して自分の言葉として再構築して発しているつもりだ。再構築の仕方がマズイと、他人には「自分の言葉で発してない」と言われてしまうのかもしれないな。
オリジナルな言葉や考えなど何処にも存在しないのではないかと、最近の私は思うようになっていったよ。オリジナルが大切なのは分かるが、それよりももっと大切なのは「見せ方」じゃないかと。そんな風に私は思っている。
【追記】sweetlove氏からコメントを頂いた。
大切なのは「リスペクト」があるかないか、だと思うよ。
リスペクトの意味が私には分からなかった。という事で検索で調べてみた。
1.尊敬する(英:動詞)
2.転じて、本歌取りや、パクリを指すことも。
此れでもまだよく分からなかったので「本歌取り」で検索してみた。
オリジナルの存在と、それに対する敬意をあきらかにし、その上で独自の趣向をこらしている点が、単なるコピー(パクリ)とは異なる。
成る程、パクリはするが、オリジナルに対して敬意をあきらかにしているかどうか、か。だが、思ったのだが、それが敬意をあきらかにしているかどうか、他人には分かるのだろうか、と。自分ではオリジナルに対して粗末にしているつもりは無いとしても、他人から「蔑ろにしている」と非難される場合がある。それは書いた者の文章能力が無いからそうなるのではないかと私は思う。どんなに気を付けていても書く人に才能が無いという事は、オリジナルを蔑ろにしていると思われてしまうのだろうな。そうなると才能の無い人間は何も書くなという事になってしまうような気がするのだが。
いや、待てよ。「敬意をあきらかにする」と言うのは、あれか、誰それの書いたものを元にして書いていると明記するという事か。それなら第三者にもオリジナルの存在が分かるという事になるか。だが、一々その様な断りを入れるのも私としては勘弁して欲しいと思うのだが。この態度が批判されるのだろうか。何だかよく分からなくなってきたな。