たとえ一行でもたとえネガティヴでもコメントは嬉しい


「Amor Mundi 〜Yes, but yet, life is so beautiful〜 さらにコメントについて」を読んで。


私の記事は何十人もの人がブックマークをしてくれる訳ではないが、少ないながらもブックマークをして下さる方がいる。
私のブログはコメント欄を開放していないので、そのブックマークでコメントをして下さる人もいれば記事をわざわざ上げて下さる人もいる。そして、そのほとんどが私の書いた記事で思う所を書き綴ってくれ、私としてはこんな嬉しい事は無いと思っているのだが。
何十人もブックマークされている記事ではブックマークだけをして何もコメントを書いていない人もいるようだ。ブックマークであるから必ずコメントを残すものでもないのだが、他人のブックマークを見るのが楽しみな私としては少々残念に思うのだ。コメントを付けている事でその人の人柄が垣間見れ興味を持ち、その人のブログまで流れていく。そんな風に今の私は興味を持てる人を見つけているからだ。


私は少々ネガティヴなコメントが付いていてもそれほど気にならなくなった。とは言え、私の記事にはそれほどネガティヴなコメントはほとんど無いのだが。
褒められれば私も嬉しい。だがしかし、たとえネガティヴなコメントだとしても、その人が私の書いた記事の何処に「こう思った」と思ってくれたのかが分るのは嬉しい。


 書いていて一番不安なのは、記事にまったく何の反応もないこと。読まれているのかいないのか、面白かったのかそうでなかったのか、それがさっぱりわからないこと。


私も筆者のこの気持ちはよく分る。私が誰かの書いた記事を取り上げて書くのも反応が無い事を不安に思うからでもあるからだ。誰かの書いた記事を取り上げるという事は、少なくともその「誰か」は反応してくれる場合もあるから。私の場合、その「誰か」だけでなく、他の誰かも反応をしてくれる時があり、恵まれているのだなあと感じるようになってきた。それがニ、三人であったとしても私にとっては嬉しいものだ。


こうやって少しづつ頑なな心が解き解れていって、何時か私も他者のブログにコメントを残せる日が来るのかもしれないな。