救われることはない

以前、本当に救われたいのなら、他者と直接コミュニケーションを取ることだと言っていた人がいた。直接といってもリアルで会うだけでなく、リアルでは会わなくても、誰かとネット上で会話するだけでもいいということだった。つまり、自分ではない誰かと関わりを持つことでしか本当に救われないとその人は言いたかったようだ。

 

救われるという状況はどういったことか、実は今の私にはわからない。何かの言葉を聞いて、とか、何かの音楽を聴いて、とか、誰かに慰めの言葉をかけられた、とか、そういったことで「ああ、救われた」と泣いた過去は何度もあるにはある。その時は本当に救われたと思うのだ。だが、その救われた言葉や音楽は、今の私を救うことはない。

 

恐らく、完全に救われることは誰にも未来永劫訪れることはないのだ。今の私はそう強く思う。少なくとも私は何にも誰にも救われることはない。どうすれば救われるのかを実ははっきりわかっているからだ。わかっているからこそ、私に救いは訪れないのだとわかりすぎるほどわかっているのだからな。

 

早く「その時」がくれば良いと私は思っているよ。