「そのままでいい」が優しさなのか?


「コンテンポラリィ・ユニットG - 狂人花畑番外地 - むなしいのだ」を読んで。


では問いたい。


創作する者は『どう』で、しない者が『どう』だと言いたいのだ。


それよりなにより私はまだ『創作する人間』としての名刺さえもっていないというのに。


あくまで私の考えである。創作する者は「作品化」とは言わず、創作しない者は「もっと違う書き方をすればいい」と言うだろう、と。


確かに、氏の思っている「作品化」と私のそれは違うのだろう。私はhashigotan氏の件の記事をh_cat氏はあのような乱暴な書き様ではない書き方をすれば良いのにと思っているのだろうかと解釈した。恐らく違うのだろう。hashigotan氏の文章は攻撃的で人々の反感をかう傾向があるように見えるのだが、それは氏が正直な気持ちをそのまま書いているからだと私は思っていた。勿論、これも私がそう思うだけであり、氏は正直な気持ちを書いているわけではないのかもしれない。だが、書いているかもしれない。私は「書いている」とそう感じた。そして、それが氏自身にとってはいいとは思えないにしても、誰かの心を動かす文章という点だけで「そのままでいい」と言ったのだ。少なくとも、私の心は動かしている、と。しかし、私だけではない。氏の書いた物は多くの者が反応をしている。だから、私は「そのままでいい」と言った。
そして、h_cat氏の書く今回のその記事が、hashigotan氏の書くその記事とどこが違うのか分からない。それが創作をしない人間である私の読解力の限界。h_cat氏は「創作する人間としての名刺をもらっていない」と言うが、氏は立派に創作する人間だと私は思うよ。プロであるかアマであるかは創作には関係ないと思うのだがね。


痛みという感覚をあなたは持っていて私だけが持っていないとでも言うのか。


違うよ。痛みという感覚はあなたは持っていて、私は持っていないのだよ。私の書いた記事を優しいと感じたのかどうかは分からぬが、もしそうであるのなら、あなたは勘違いをしている。


「そのままでいい」と言う優しげな地平


h_cat氏には分かっていない。「そのままでいい」と私が言う事のどこが優しいのだ?この言葉のどこが?
其方のコメント欄で「むしろ「思ったことをそのまま書けばいい」といわれるほうがちょっとと思われます。」と書いている方がいるが、その「ちょっと」の意味する所は分からないが、余り良い響きは感じられなかった。つまり、私の「そのままでいい」という言葉は人によっては優しさにはならないのだという事にはなりはしないか?
批判されるのは別に構わない。思ったことを本当に書き手がそのまま書いているか如何かなど、読み手の私には分からないから、私はただ「書けばいい」と言うだけだ。私が「書けばいい」と言ったとしても、それに縛られる事はない。どんなに好きで読んでいたブロガーの文章であっても、僅かに私の好みからずれていけば私は読まなくなる。私は私の好みで「そのままでいい」と言っているに過ぎない。だから私は優しくないのだよ。私を優しいという人は考え違いをしている。私程、優しくない人間はいないのだよ。


そして、コメント欄で言われている「そして意見は、偏るべきだと思います。」には、私は決して賛同出来ぬ。偏っても偏らなくても別にいいと思っているが「べきである」という言葉に、私は「むなしさ」を感じるよ。