多様性が大事だとはいえ、寛容な人間が好かれるものだよな


「Mugi2.0.1 - 意図したとおりには読まれない」を読んで。


私も他人が書いたものを読んだ時、その筆者が「この様に読んで欲しい」と思っているのとは違う読み方をしてしまう人間であるのだが、私の知り合いにも誤読をしては自分語りをして「如何してそういう読み方をするのだ」と書かれた物に対して誠意が感じられないという言い方をされる事があると嘆いていたな。
それは、その人も私も記事全体を見渡して書かれている事に言及するのではなく、自分の心に響いた一言が余りにも印象に残ってしまった為に、その言葉を膨らませて脳内で妄想が始まるからなのではないかと思うのだ。


 ぼくのなかにあったモノと,届いた先のあなたのなかにあるモノが違っている。その変わりっぷりを見ることを,ちょっと面白く感じるのです。


だから、麦氏のように寛容な姿勢を見せている方は、私や知り合いのような誤読をしては自分語りをしてしまう人間にとって大変に貴重な存在なのである。今までに私達を非難してきた相手に聞かせてやりたいものだな。この様な心の広い人間になりたまえ、と。尤も、そういう心の狭い人間も居て悪いわけではないが。多様性は大事であるから。だが、少なくとも私は心の狭い人間には近付きたくないものだな。