どの様な感情でも役に立つのだ


「誰かお尻拭いてください - ネガティブな感情を否定されると」を読んで。


ここ数日、ネガティブな感情に支配されていた私だ。此処での私は、極力それを書かないようにしていたが、流石に昨日は少々本音を書いてしまった。が、思いの他、それを否定されなかったようだ。私にも過去にそのネガティブな感情を思い切り否定された事がある。それが普段からポジティブな感情を見せている人であれば納得も出来たのだが、その相手もどちらかと言うとネガティブな感情を文字で表現する人だった。私は当然反発した。しかし、それを相手には言えなかった。適当に流してしまったものだった。それからだったな。文字ではなるべくネガティブな感情は綴らないようにしようと思ったのは。一年は上手くいっていたのだが、なかなか性格というものは変えられないのか、時が経つとネガティブな気持ちが抑えられなくなってきたようだ。出来れば、そんな私は見せたくないものなのだが。矢張り、そうなると、更新頻度は落ちてしまうか。それも仕方ないか。


これも世の中の全体的な風潮が「前向き」「役に立つ」ような感情しか認めないようなところがあるためだと思う。とにかくどんな酷い感情であれ自分はそれを一旦全部肯定してみたい。


だがしかし、ネガテイブな言動をしないようにするという事は、どの様な感情でも何かの役には立つのだという私の考えが捻じ曲げられる事になるか。誰を不快にさせても、正直に書くべきなのかな。よくは分からないが、この記事も恐らく誰かを不快にさせてしまうのだろう。だが、思い切って公開してみるか。