何時か懐かしい思い出になるまで


「きらきら、ぶつぶつ - 逃げるだけでは、傷ついた心は癒せない・・・」を読んで。


筆者のこの記事をざっと読んで、この人は私に似ているなと思った。過去に経験した事が非常に似通っているというのがそう感じた理由である。だが勿論、全く同じ経験など有り得ないわけであるし、同じ人間ではないのでその時その時に感じた事や取った行動が全く同じというわけではない。だから、あくまで「似ているな」という程度の事なのである。


自分が発端で自分と相手との問題ではなくなり他者までも巻き込んで傷付けてしまったという事は私にもある。筆者が書いているような出来事と似たような事を私も経験したのだ。
当時の私は筆者のように自分が傷付けられるのは構わないとは思っていなかった。今はやっとそう思えるようになったわけであるが、当時の私は逃げる事をしなかったばかりに相当深い部分で互いに傷付き傷付け合ってしまったのだ。
逃げてしまっては、そこで私は負けなのだという汚らしいプライドを捨て去る事が出来なかったのだ。


時には逃げる事も必要だ。いや、逃げるという言葉は適切ではないかもしれない。そうだな、身を引くという言葉が妥当かもしれない。
筆者のトラブルが私と同じかどうかは、その話だけでは分らないのだが、私の場合は泥沼になる前に一切自分の主張はすべきではなかった。特に、私は自分で言うのもおこがましいが、相手より他人を味方に付ける文章を書く事が出来た。別にある事無い事を書いたわけではないが、私は効果的に己の心情を訴える文章を書く事が出来たからだ。これは卑怯な行為だったと今は思っている。
私は馬鹿な行為をしてしまったのだ。そして、その馬鹿な行為を同情を誘うような文章で飾り立てて、言い訳に満ちた心を持っている事を上手く隠してしまったのだ。
馬鹿な事をした報いを私は正面から受け止めるべきだった。本当に今はそう思っている。
恐らく、当時のギャラリーは私が沈黙したとしたら「逃げたのだ」と思ったかもしれないが、たとえ他人にどのように思われようが、自分自身が「分っていれば」誰に理解されなくてもよかったのだ。


「過去の嫌な経験なんて、もうどうでもいいんだ。私は、本当のコミュニケーションがどんなものか分かっていなかったんだ。明日から変わるぞ。」


筆者のいう事に異論を唱えるつもりはない。だが、私は過去の嫌な経験はどうでもいいとは思いたくない。私は何度も何度も忘れようとした。嫌な経験なんて忘れようと。そして、周りの人達も「もう忘れなさい」と言ったものだった。しかし、どうしても忘れる事は出来ないのだ。こんな風に、誰かが私と似たような経験をしたとかしているとか聞くと、フラッシュバックを起こしては過去に引き戻される。そして、それをこうやってまた書いてしまう。忘れようと思っても忘れられないのだ。
だから、私はもう忘れる事は止めにしたのだ。何度でもこうやって思い出してはあの頃の痛みを思い出し、そして、もう二度とこの痛みを味わう事はしないぞと決心し、次の繋がりに生かそうとそう思うようになっていった。


だから、私は此れからも何度でも過去の経験をこうやって語るだろう。たとえ、私と傷付け合った相手が私の書いたものを読んで再び傷付いたとしても、私は書き続けるだろう。何時か痛みも薄れ「そんな事もあったよなあ」と懐かしい思い出となるまで。