私は慰めたい


「琥珀色の戯言 - 孤独と不安のレッスン-インターネットの一番の問題点」を読んで。


確かにこのネット世界では簡単に慰められるし、こちらも簡単に慰めてしまう事もある。だが、それを問題であると言ってしまう短慮には嫌気が差す。


「簡単」であるがゆえに、それに依存してしまい、「現実に立ち向かう困難」を放棄してしまいがちになるのです。


この様にfujipon氏も言っているが、依存してしまう人間というものはどんな状況であろうが依存してしまうものだ。簡単に慰められなくても何処からか依存するものを見つけ出してくる。また、現実に立ち向かう困難を放棄する事も、ネットで簡単に慰められなくても結局は放棄してしまうものだと私は見ている。
慰められる事の何処が悪いのか私には分からない。現実に立ち向かう困難を、慰められた事で放棄しない人間だって居る筈だ。現に私はネットで慰められたおかげで現実の困難に立ち向かう力を貰った人間でもある。だから強く言いたい、ネットでの慰めを否定するな、と。それでたとえ駄目になっていく人間は、最初から駄目な人間なのだ。傷付けられるという事でもそうだ。傷付けられる事は悪い事でもないなと最近の私は思うようになった。そのおかげで強くなれたように思うからだ。


だから、私は此れからも私が助けたいと思う人間には慰めの手を伸ばすよ。それで相手に拒絶され、私自身が傷付こうとも、それでも手を伸ばし続ける。そう思っている。