そっとして置いて欲しい変化もあるのだよ


「もっぱら はてな出張所 - 他人の、題名を付ける才能が、羨ましい」を読んで。


私が書いた「歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 変わらざるを得ない状況へと」でmoppara氏が記事を書いて下さった。
昨夜遅くこの記事を読んで、私は深く考え込んでしまった。
何度読み返しても、氏の言わんとする所が分らなかったのだ。
ところが、今朝もう一つの記事、yas-toro氏の書かれた「明日は明日の風が吹く - 変わらざるを得ない状況へと(from 歓楽叶わぬ納骨堂庭園)」を読んで、何となくだが、このお二人は同じ事を言っているのだなと思うに至った。


 人間は、忘却の生き物


 自分が書いた文章を、一字一句覚えているのは、至難の業


 しかし、覚えている範囲内でいいから、自分の主張が変わった時は、変わったと宣言すべき



あなたの変化は、いつ何処でどういうきっかけで起きたのか……そこが知りたい。



私は誰かが考えが変わったその理由を聞きたいと思っていただろうか?
誰かの書いた日記をずっと読み続け、ある時ふっと気付く。どうやら雰囲気が違うぞ。考えが変わったのかな、と。だが、私は相手が話そうという気持ちにならない限りは聞くつもりはない。聞きたい気持ちはある。むしろ、昔は聞きたがりな私であったので、相手に聞かせて欲しい、好きな相手のどんな事でも聞きたいと言っていたものだったのだ。だが、それで相手を追い詰めてしまって関係が壊れた事があり、それ以来聞かせて欲しいと言わなくなっていった。


私が過去に「前に言っていた事と違うじゃないか」と言われた時に私が言い訳をしたのも、それは考えが変わったというよりも、一つの対象に対してたった一つの考えを持っていないのが原因だった。私の考えには一貫性がなく、一つの考えを書いても常にもう一人の私が別の考えを囁いてくるのだ。そして、そのどちらもが私にとっては頷ける考えであり、私は何と矛盾した人間であろうかと思ったものだった。


だから、私にとっては考えが変わったという事はほとんどないと言ってもいい。何だか違っているようだぞと誰かが思ったとしても、それは元々私の中にあった考えであり、誰かの書いた記事で浮かび上がってくるだけに過ぎない。それを責められても私には如何する事も出来ない。私は変わらないからだ。あなたは変わったと言われても私は変わったつもりはないのだから。これからは言い訳はしたくないとそう思う。


ところで、私が取り上げたanother氏の「他人の脳内 - 矛盾させてくれ」のコメント欄では、どうやら聞かせて欲しい派が書き込みされているようだが。聞かせたくない派は他にはいないのだろうか。少々寂しく思ったよ。(笑)