書きたいが溢れている人を好ましく思う


「明日は明日の風が吹く - 私をその気にさせる文章に出会いたい(from 歓楽叶わぬ納骨堂庭園)」を読んで。


自分のサイトを作ったけれど、書いた事に対してその場ですぐにレスが無い。メールだったり、掲示板だったり……当然それは繋がりが薄くなる。それが寂しかった。


筆者はパソ通での対話が当たり前であったようなので、それから考えると確かに感想をメール等で送られるのには寂しさを感じてしまうのも無理はないだろう。
だが、私はそうではなかった。どういう形であれ、書いた物に反応してくれる事が嬉しかった。それがメールであろうとも掲示板であろうとも、こんな風に思ったと私に相手は聞かせてくれる。それがとても嬉しかった。だからずっと書き続ける事が出来た。勿論、それは矢張り私と同じように「書きたいが溢れている人間」でなければならなかったが。中には思った事を文字になかなか出来ない人もいたので、どうしてもそういう方とは関係が希薄になっていったように思う。
つまり、如何しても相手に望んでしまう事が「私に何かを書かせる反応」であったのだから。これはもう仕方ない。差別だの馴れ合いだの言われても仕方ないかなと今は思う。以前はそう言われたくなかったが、今は気にしない。幾らでもレッテルを貼ってくれてもいい。


筆者は違う内容でも語り合いたいと言って下さった。
私も筆者の過去ログを読むのを楽しみにしているのだ。此れからも読んだ感想を書かせて頂くよ。