精神的支えでも助けられていたのだ


「明日は明日の風が吹く - 私に語らせて欲しい(from 歓楽叶わぬ納骨堂庭園)」を読んで。


 幸いな事にない。勿論、私が配慮不足で(空気を読めなくて)直リンクしない方が良い所へ直リンクで紹介して怒られたり、そういう事はあった。でも、それは私が悪いのであり、嫌な思いでは無い。


成る程、筆者と私では嫌な思いに対する捉え方が違っていたらしい。私は自分が悪かった場合でも嫌な思いをする人間だ。それは私自身に対して嫌悪感を抱くという事であるので、そういうものも含めて嫌な思いをした事があるのかどうかを聞いたつもりだった。
ただ、筆者の場合はパソ通時代の嫌な経験があったからこそ、ネットでの出来事が些細な事なのだと思えるようになったとも言えるかもしれない。私はパソ通など経験がないので想像するだけなのだが。
私も過去に経験した嫌な出来事があるので、今では大抵の事はスルー出来る様になった。だから、筆者も私も相手との距離を取れるようになったという事で今はそれほど嫌な思いをする事もないという事なのだろう。


そして、筆者は「見守って、影で暗示の言葉をくれるというのは、助けられている内に入ると思う」と書いている。
つまり、精神的な支えになってくれたと言う事自体が助けられたとも言えるという事か。そうだね。筆者の言う通りかもしれない。それならば私も助けられたのだな。過去のあの人達に。そうだね。そう思わないと彼等に申し訳ないか。有難う、大切な事を気付かせてくれて。