「勝ち猫 もちの マターリぶろぐ またーりしようよ’ 読む人」を読んで。
筆者はリアルで人に触れたり、人から触れられたりするのがあまり得意ではないと言っている。それは私もそうだ。私も手を繋ぐとか肌を触れ合わせると言う事がとても苦手である。
だが、リアルがそうだからといって、ネット上では違う。
私は心地良いと思う相手と言葉で触れ合いたいと思っている。以前はその気持ちが過剰だったので相手との距離感が上手く取れずにトラブルにまで発展してしまったのだが、今は上手く距離感を取りつつ、相手をそっと包んでいるつもりである。勿論それはイメージではあるのだが。
人から言葉で抱きしめてもらいたいと思ったことも無いかもしれないなあ。けれども、このブログを書いている人の立ち方は、とても気に入っている・・・
たとえばこんなイメージ↓
波が来ても風が来ても、全く気にせず砂浜に立ち本を読んでいる・・・
「わたしは、かように読んでいるのです。」
そう言って頂けてとても嬉しく思う。常に心穏やかに佇んでいたいというのが私の理想だからだ。そうやって私の立ち方を気に入って下さる方がいるという事は、私も理想に着実に近づいているということなのかな。だとしたら、とても嬉しい。
お気に入りのブログや文章はたくさんある。でも、わたしはその人と文章で抱き合ったりしなくてもいいかな・・・。立ち姿を感じるだけでなんとなく力が湧くのを感じるから。
「立ち姿を感じるだけで力が湧く」という筆者なのだが、それが言葉で抱き締められたと同じなのだと私は思っているよ。表現が違うだけで同じ事なのだ、と。
私もふらりと立ち寄った場所で、初めて訪れるのに書かれた言葉で力を貰う事がある。私はそれを「抱き締められた」と思う事にしているのだ。私だけの感じ方なのだがね。