私は論客にはなれない


「琥珀色の戯言 - 一流の「論客」になるためには」を読んで。


私は頭が良くないので論客にはなれない。書かれたものを読んでは誤読をしているし、書かれている内容の意味がよく分らなかったり、書いている人の意図が汲み取れない事が往々にしてあるからだ。いや、往々にというよりも毎回そうかもしれない。



筆者がこの記事を書いた素となった記事「モノーキー:一流の論客になりたいあなたのために。」を読んでみたが、その中で「詩的に書け。」というのがあった。どうだろう。詩的に書いたからといって論客に見えるものなのだろうか。だが、作家などを目指す人間が一番最初に陥りやすいのが意味が直ぐには理解できない難しい漢字の多用であるとも聞くので、詩的に書かれた意味不明な表現というものを使う事も頭が良さそうな人間と見られるのかもしれない。


それはそうと筆者が言っている事で気になった点が一つある。


まあ、僕は基本的に「論客ごっこをしている人」などには、全然興味も共感も抱けないのですけど。


私は「論客ごっこをしている人」が分らない。しかし、筆者には分るのだな。その様な真似事をしている人間を見抜けるとはかなり人を見る目があると思うのだが。羨ましいものだ。