感情的な人間が感情を抑えて書くという事


「Re Person I don’ know 抑制の利いた筆致」を読んで。


私の記事である「淡々としたブログにも心惹かれる」では過激な事が書かれてあるブログも淡々と綴られたブログもどちらにも心惹かれると書いたわけであるが、筆者は過激な発言には辟易していると言っている。それが普通の人間の反応だろう。


ネットでは文書を掲載することが簡単であるが故に、文章を練りもせずアップしてしまうことが多い。感じたことを感じたままにだらだら書いてしまう。感情の垂れ流しである。


私も感じた事を感じたままだらだら書いている。此処では書いた物を誤解されぬように推敲する行為はしていないからだ。ただ感情の垂れ流しはしていないつもりだ。しかし、此れも誰かにとってはそうは見えないかもしれない。時折り、かなり感情的な文章を書いている時もあるからだ。元々が感情的な人間であるからそれは仕方ない事なのだが。それもあり、私は感情の垂れ流しをしているブログも好んで読んでいる。


 自分の心に正直なことは時として野蛮である。そして弱い。麻雀の強い奴は喜怒哀楽を顔に出さず、重要な牌をきることができる。心は隠されているからこそ熱く燃えたぎり、上品になり、更に強くなる。むき出しの心は犬の鳴き声のように頼りない。


私は喜怒哀楽をありのまま正直に見せ付けている文章に心惹かれる傾向があるのだが、私自身は普段は喜怒哀楽を抑えて文章を書き、ふとした時に心に抱く情熱が垣間見れる書き方を目指して書いているつもりだ。その様な文章は自分の気質とは逆であるから憧れもするし、到達したい境地であるからだ。とは言え、此れもまた己に嘘を吐いていると謗られるかもしれないのだがね。


 感情を押し殺して淡々と書かれる文章は、逆説的だがその行間に強い感動を垣間見ることが出来る。


感情的な人間である私が出来るだけ感情を抑えて書くという事は、時として嫌悪感を抱かれるかもしれないと思っていた。それはただの思い込みだったのだろうか。此処でブログを書くようになって、そんな事を思うようになっていった。私の書き方は間違いではないのだな、と。


【追記】「もっぱら はてな出張所 - イデア」で感想を頂いた。


 「歓楽」の方は、いつも、一貫してるな、と


褒め言葉として受け取った。一貫性があるブログを目指しているからその言葉を頂けて嬉しいよ。有難う。