私は人々の本音を引き出したい


「『斬(ざん)』 羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね」を読んで。


私の記事「注目を浴びても浴びなくても私の書いた物には恥ずかしい物は無い」で言及したsouryuusei0401氏よりトラックバックを頂いた。


大手(中堅)個人ニュースサイターやアルファクリッパーなんて呼ばれてる人達の巡回先に居るか居ないかでも変わってくるわけで…… で、そういったところから普段注目されないところでも、淡々と良質な記事を書き上げていて、それにふと何かの偶然で巡り合ってしまった時ってのを想像したわけですよ、あの記事は。


 その時に、自分の書いた記事に自信と誇りを持っていたとしても、出会った記事には、直感で「負けた」って感じてしまった場合ってのを想定したわけですよ。


たとえぱ、ふとした拍子に出会った記事で、私も似たような事を過去に書いていた事も今までに無い訳ではない。しかも、私が書いたものよりもなかなか上手く書いていると思った記事もあったよ。それなのに、私はその方よりも評価され、その方はほとんど話題にもされていなかったという事もあった。だが、これは性格なのだろうな。私は「負けた」とは一度も思った事が無いのだ。それは誇りを持っているからと言うよりは、とても傲慢な態度なのだろうなとは思ったよ。しかし、それでも私は自分は負けたのだとは思わなかったのだ。恐らく、今でもその様な事になったとしても私の書いたものより誰かの書いたものの方が良いと感じたとしても、恥ずかしいとは思わないだろう。と言うのも、その方の気持ちをつい考えてしまうのだ。つまり、私ははてなダイアリーで書く事によって、私の書くものに対する人々の関心を自分によく見えるようにしているわけであり、それによって、以前書いていた場所よりも他人の目に付き易くなっている事を自覚しているからだ。そう。誰かに読んでもらい易い環境を整えているとも言える。それは取り上げて貰い易い事を意味するのだ。より多くの人に読んで貰う事は、評価もして貰い易いと思うのだが、如何なものだろうか。
私より良い記事を書いている何処かの誰かは、恐らく私ほど自意識が強いという訳ではないのだろう。余り誰かに取り上げて貰いたいとは思っていないのではないかと、そう思うのだな。勿論、これは私がその様に勝手に憶測しているだけなのだが。しかし、書いたものに対してそれ相当の評価を貰いたいとその方が思っているのなら、矢張りそれだけ注目を浴びるように他者に働きかけるのではないかと思うのだよ。それをしないという事は、見合う評価をされたいとは思ってはいないのだろうな、と。そう思うと、私は勝手に恥ずかしく思う自分が馬鹿馬鹿しく思えてくるのだ。だから恥ずかしいとは思わない。


 で、話が前後するんだけど、自信を持った記事が、Web でも受け入れられて注目されたときに、もし上記で書いたような「負けた」と感じる記事に出会ってしまったらってのを考えたんですよ。これは、他者評価ではなくって自己評価での視点。つまり、自分が閲覧者視点で観て、自分の記事と読み比べた場合にという意味においてです。


 閲覧者視点では、こっちの記事のがもっと取り上げられて注目されてしかるべきでは無いだろうか?って思ってしまう場合もあるんじゃないかと。そうすると、記事にも書いたように、恥ずかしいと感じないだろうかって話なんです。自負があるからこそ、そこに生まれる羞恥。


だが、氏がこの様に言われるているということの意味は、私が言うような他者の気持ちを踏まえてという事ではないという事だよな。つまり、兎に角、己の気持ちを踏まえての羞恥という事だ。だから、氏の言われる事には納得する。尤も、それでも私は矢張り自分であったなら恥ずかしいとは思わないのだから、これはもう性格というか、記事に対するスタンスという事でしかないのだろう。
人にはそれぞれ自分の拘りとか立ち居地というものがある。氏にとっては羞恥プレイをする事で己を客観視して記事に活かしていくタイプなのだろう。だが、私は羞恥プレイではなく、どちらかというと、俺様主義で傲慢な見方で記事を書いていく事によって、人々の本音を引き出していきたいと思っているようだ。記事上のSを目指しているのかもしれないな。(笑)