憂鬱になるくらいなら己の性格を変えろ


「kmizusawaの日記 - コミュニケーション下手な人や人間関係の築き方にまずいところがある人が当然のように非難されてるのを見ると憂鬱になってくる」を読んで。


私もコミュニケーションが上手だとは言えないが、自分を「気持ちの悪い粘液を垂れ流しつつ異臭を放つ謎の宇宙生物みたいなものだっただろう」とは言いたくないな。勿論、kmizusawa氏が御自分をその様に表現したとしても、本当にそうなのだと思って言ったのではないのかもしれないが。だが、冗談でもその様な卑下の仕方は見ていて気持ちの良いものではない。どの様な事を書いても自由だとは思うが、最低限の自尊心は持っていて欲しい。自分をその様に卑下しているから嫌われるのだと言われても仕方ないと思うぞ。


正論は私も好きだとは言えぬが、正論を言う者もいなければならないというのが私の考えだ。たとえば私の書いた物に対して誰かが正論を言ってきたとしよう。感情のある人間であるから、多少はむかつく。だが、私も自己弁護はするつもりはないが、その正論を参考にして自分を変えなければならぬと思ったら変えると思うよ。尤も宣言はするつもりはないが。そして、変えなくてもいいと思えば変えないがね。正論は煙たがれるものではあるが、無くなってしまっても困るものなのだと私は思っている。


こういうひねくれた認識だから敬遠されがちになるのかもしらんがな


それが嫌ならその様な捻くれた認識は捨て去ればいい。それともそれでいいと思っているのかな? それならば私のこの記事は単なるお節介となってしまうのだが。
だが、憂鬱になると言うのなら、私は何とかその憂鬱の原因を取り去りたいと思うよ。それが自分の性格を変える事ならば何とかして変えるつもりだ。尤も、これも「正論だ」と言われるのだろうが。だが、私も正論を言う事を止めたりはしない。正論言って何が悪い。正論は時には必要だと思っているんだよ。私は。