もっと傷付く事が必要なのかもしれない


「セックスより完全なもの - 傷つきたくないから恋はしないって時折聞くけど」を読んで。


失って辛いのは本当に大切だったからという想いは私にもある。いや、今までに失って辛くなかったものなどなかった。大切ではないものなど一つもなかったのだ、私には。


だが、手にしたものは永遠に私の元にあるわけではない。自分の命さえも永遠に続かないのだ。全てが何れは失ってしまうものである。それは抗いようのない事実。


 でもまあそもそも一条は辛い目に遭いたくないとは思っていない。いや遭わないで済むならそれもいいかもしんないと思わなくはないけれども辛い目に遭わない人生があるとは思っていない。傷つきたくないとも思っていない。傷つかない人生なんてないし傷つかずに済む人生なんてないし、腫れ物に触るみたいに扱われて傷つかないようつかないようされるより傷ついたほうがまだしもだ。痛みを知らない人になんてなりたくない。いや最後の一文はかっこつけました大概ええかっこしいですね!


傷付いたほうがまだましだ、か。私もそこまで気持ちを持っていくことさえ出来ればなと思うよ。
私が仮面を被り続けるのも確かに傷付かない為でもあるし、誰かを傷付けない為でもある。しかし、誰も傷付けないという事は無理だ。どのようなものを書いたとしても誰かは思わぬ事で傷付けられるものだから。だから、誰も傷付けない事は出来ない。だとしたら、私が仮面を付ける理由は無い。
とすれば、矢張り私が仮面を被って語るのは、私自身を守る為に他ならないという事だ。


誰かを騙すつもりはない。私は嘘は付いていないし、ここで書いている考えは正真正銘私の考えである。つまり、私が仮面を被るという意味は、匿名で考えを語るという事であるに過ぎないのだ。ということは、私のしている事は仮面を被っているという事とは微妙に意味が違うのかもしれない。他の人々と何処が違うのか。違いはない。


成る程、では、私は仮面を被っているわけではないという事になるな。(笑)


途中からyas-toro氏への私信に摩り替わっていたのが分かっただろうか?
そうだね、仮面を付ける事は疲れるものかもしれない。だが、この私は疲れないのだよ。という事は、この私は仮面を付けているわけではないのかもしれない。これが本当の私。いや、恐らく、この私だけでないな。他の人々に見せている私も本当の私に違いない。疲れると感じる仮面は私には一つもないのだから。


最後にAyanoIchijo氏のこの言葉に惹かれた事を記して置く。


 だから終わらない恋はなくて最後は絶対別れるけれど何回泣いても恋をする。たくさんたくさん幸せになって、たくさんたくさん傷つくために。


「傷付く事を恐れないで」と、かつて私に言ってくれた人がいる。私ももっと傷付く事が必要なのかもしれない。